どこまでがAIで、どこからが自分が作ったものか
僕は3月頃に、AIを使って本を2冊書いた。一冊は今月、もう一冊は来月発売される。
僕はもともと文章を書くのが苦にならず早い方だが、それでも一冊分の原稿、12万字を書き上げた最短記録は20代の頃の20時間だった。本職の人はもっと早いだろう。「ドクターホワイト」や「神の雫」などで知られる作家の樹林伸さんのタイムラインを見ていると、一日に2冊書いている日もあるようだ。
AIを使って本を書いた場合、10時間で一冊仕上がってしまった。
本というのは、読むよりも書く方が長い時間を要する。
AIに12万字ほど生成させてから、「ここは違うな」とか「ここにこういうエピソードを追加した方がいいな」と考えながら、結局は全部リライトするのだが、それでもAIがなければこのスピードで本は書けなかっただろう。
ただし、今のところ、AIが生成する文章や物語は、びっくりするほどつまらない。
一冊めの本を書いたときには、編集者が困った顔で「清水さんが書いたところと、そうでないところの差が激しすぎる」と指摘してきた。結果的に全ての文に少しずつ手を入れたのだが、そうなってしまうと今度はもはや「どこまでがAIの生成で、どこに自分が手を加えたのか」自分でも全くわからなくなってしまう。
逆に言えば、これが「書く」という行為の新しい形なのではないか。