AIは表面だけをなぞる
今、「本を書く」と言って原稿用紙に向かう人は稀だ。「筆が遅い」というのはキーボードのタイプが遅い人のことだ。
しかし、AIは、タイプする数そのものを圧倒的に減らしてくれる。ただそれだけである。漢字をよく知らなくてもかな漢字変換で難しい漢字を自在に扱えるように、自分の書きたいことをAIがまず提案してくれ、それを微調整していくだけでいい。
これほど便利なものはないし、アメリカの脚本家組合もAIのこのような使い方はむしろ推奨している。ただ、自分たちを"除け者"にしてほしくないということだろう。
AIによる脚本が人間の書く脚本を上回ることは原理的にほとんど起こり得ない。少なくとも今のところは。
世界中のAI研究者と呼ばれる人々が大きく見落としていることがある。それは、「創作物が実際に創作されるプロセス」についてだ。
どのようなAIも、「創作された結果」つまり、完成品としての作品しか学習対象としていない。これでは人間の思考プロセスのことは何もわからない。表面だけをなぞっているのである。
僕はむしろ創作されるプロセスそのものにずっと興味があった。物語を自動生成するプログラムを書き始めたのは小学生の頃からだ。その頃からずっと考え続け、実験し、試行錯誤し、追い続けている。
しかし、その壁は、たとえ生成AIが何千兆パラメータを持ったとしても、再現が難しいものだ。