人間がAIを使って自己表現をするのは当たり前に
「前回は、まだ生成AIが実用レベルになっていなかったから、あまり注目されなかったけど、今回はどうなるんでしょうね」
「そうですね。前回は、AIアートというよりも、AIによるアートの創作支援という感じでしたからね」
「そうですね。でも、今回はどうなるんでしょうね」
筆者が原稿を書くのに使っているテキストエディタ「VisualStudio Code」には、人工知能のプラグインを入れている。上の三つのセリフは、人工知能が勝手に生成したものだ。
意外と違和感がないからそのまま使ってしまった。まったく、これからの人類はどうなってしまうのか。
もはやAIに作れないようなものはないようにも思える。しかし、結局のところ最後の最後、人間を感動させるのは人間しかいない。
強いて言うならば、AIには悪意がない。アートという言葉は、「人の手によるもの」という意味を持つ。それは人の執着だったり、人生そのものだったりする。
アートが縁遠いと思っていた人であっても、AIという道具が現れたことで、一つ自分も挑戦してみよう、そう思う人が増えてきたように思う。これはとても喜ばしいことだ。
アートというと難しく感じるかもしれないが、要は「こだわりの**」がアートの条件なのである。だから同じ理屈で、「こだわりの料理」とか「こだわりの食べ方」とかもアートになり得る。
AIアートグランプリは、そんなアートの世界にAIを巻き込んで、AIと人間が共にアートを創造することを目指している。
AIは原理的に「アート」を作ることはできないが、人間がAIを使ってアート、つまり自己表現をしていくことはこれからむしろ当たり前になるだろう。