一貫して住宅建設を後押し
日本の住宅政策史を振り返ると、戦前、東京の借家率は7割程度もあり、持ち家層は少数派でした。しかし、戦争で焼け野原になり、地方から大都市に人口が大量に流入し、戦後から高度経済成長期にかけて住宅の数が圧倒的に不足する事態になりました。そこで、国は持ち家政策を積極的に推し進め、1950年に住宅金融公庫を設立、一般の人でも住宅ローンが使えるようにするなど、住宅建設を後押ししました。
高度経済成長期からバブル期にかけて都心の地価高騰で、庶民は購入可能な価格の住宅を求め、居住地の郊外化が進みました。バブル崩壊後、地価下落、不良債権問題を背景にした経済対策の一つとして、建築基準法や都市計画法の改正が行われ、住宅をより大きな規模で建設できるよう規制緩和がなされました。2002年には都市再生特別措置法が施行され、政令で指定した都市再生緊急整備地域では既存の都市計画規制を適用除外できる「都市再生特別地区」の創設など、都市計画分野での大幅な規制緩和が可能になりました。その結果、「都心居住の推進」と「市街地再開発事業の推進」という目標のもと、容積率等の都市計画規制の緩和によってタワーマンションが林立するようになりました。さらに大都市郊外の農地エリアでは市街化調整区域の開発基準が緩和され無秩序に市街地が拡散。その結果、総務省住宅・土地統計調査によると、18年の住宅総数は総世帯数よりも16%多い状況になりました。
高度経済成長期の後始末
住宅総数を見ると、08年から18年で、5759万戸から6241万戸となり、年平均すると1年に約48万戸ずつ増加しました。一方で、売却用・賃貸用・別荘等を除いた空き家は、08年から18年で、268万戸から349万戸となり、1年に約8万戸ずつ増えています(図1)。
さらに、空き家予備軍も大量に控えています。総務省住宅・土地統計調査(18年)によると、高齢者のみ世帯が住む戸建て住宅、いわゆる空き家予備軍は約829万戸にも上っています。今後、団塊世代の実家の相続だけでなく、団塊ジュニア世代の実家の相続が同時に発生するという大量相続時代を迎える中で、空き家増加のスピードも量も増える可能性が高まっています。
空き家が右肩上がりに増えているにもかかわらず、居住地を焼き畑的に広げながら住宅を大量につくり続ける日本の状況を私は「住宅過剰社会」と称していますが、この背景には、産官民がつくり出した構造的な問題が関わっています。国は経済対策として都市計画規制を過度に緩和して住宅を建てやすい政策を続けてきました。市町村もとにかく人口を増やしたいと開発規制を過度に緩和してきました。住宅・建設・金融業界は、住宅をつくり続けることで収益を確保し、売りっぱなしの構造から根本的に転換していません。住宅購入者側は、車に乗れなくなった時の生活や相続後の空き家化リスクは遠い将来のこととして家の購入に動きます。
このように、国も自治体も産業界も私たち国民も、家を「つくる」ことばかりに目を向け、つくった住宅を「引き継ぐ」「たたむ」ことに目を向けてこなかった――。そのツケが一気に噴出しているのが今の状況なのです。車や家電のような使い捨てできる消費財の感覚でとにかく住宅をつくり続けてきた高度経済成長期の後始末問題とも言えます。