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上野千鶴子 団塊男類は旧男類、団塊女類は新女類。存在する大きなジェンダーギャップ

上野千鶴子(社会学者)

"石像化"する父親

 心理カウンセラーの信田さよ子さんが著書『母が重くてたまらない──墓守娘の嘆き』で鋭く指摘していますが、息子に家事などさせてはならないという親に育てられた夫たちは、父親として〝石像化〟し、母と娘が目の前で血を流すほどの葛藤を繰り広げていても、見えないふり、聞こえないふり。父親の不在の影響はゼロではなく悪だったと断言できます。

 団塊ジュニア世代の大学進学率は高く、特にその母親たちは娘の教育に熱心です。自己実現の場のなかった団塊女類にとって、我が子は自分の作品。高学歴の娘は彼女たちの「成功作」ですが、そんな娘を一生離さないから厄介です。就職先はブランド企業でないと認めないし、結婚相手もブランド大学卒の男でないと認めない。孫が生まれれば「私の出番!」とばかり手も口も出してくる。では、親の希望通りの人生を送らない「失敗作」なら手放してもらえるかというとそうじゃない。失敗作の娘は、一生そばに置いて罵倒し続けるといいます。

 権力を持って押しつけをすればハラスメントになります。団塊男類は上司として会社で嫌われ、団塊女類は母親として家庭で嫌われたのです。

 ただ、婚姻率も専業主婦率も高い団塊女類は、その上のきまじめな世代と違って「自己中(ジコチュー)」で、ガス抜きが上手でした。消費社会化が始まっていたこともあり、妻たちは出歩くようになった。女性学のサークルから環境保護の市民運動、ママさんバレー、趣味のクラブまで、ありとあらゆる草の根の地域活動、サークル活動が隆盛しました。

 また、団塊女類は嫁の役割からも解放されました。都会に出てきた次男坊、三男坊と結婚して、舅姑のいない核家族の主婦でしたから。自分が嫁をやっていないから、団塊女類は息子の妻に嫁役割を期待できるとは思っていません。同じ世代でも夫と妻は全く違うし、父と息子、父と娘、母と息子、母と娘の関係もそれぞれ違う。一枚岩ではないのです。

 現在、団塊ジュニアの男性たちは、父親になろうともがいているように見えます。父親になりたいのに、ロールモデルがなくて戸惑っている。団塊の父親不在は、息子たちにも悪影響を及ぼしています。

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