「知」に煽動される若者たち
――かつて、70〜90年代の予備校業界に溢れていた熱気は、どこから来ていたのでしょうか。
出口 単純に受験生が多かったということもありますが、当時は「浪人」をひっくり返して「ひとなみ」と呼ぶような社会状況で、現役で合格するほうが少数派でした。
また、入学定員の数倍の受験生がいるわけですから、大学は今みたいに面接や小論文で審査することなんてできませんし、点数だけでスパッと切ってしまっても学生の確保に困ることがない。予備校側も受験生が右肩上がりで増えていくことはわかっているので、大校舎をどんどん建てて学生を集め、そのために優秀な講師もかき集める。そういう状況下で高校にも大学にもない文化が生まれたのではないかと思いますね。
小林 ある講師は「受験勉強によって受験勉強を超えることが予備校の役割だ」とおっしゃっていました。予備校での勉強はあくまでも大学合格のためのものであり、教科書や学習指導要領に準じた内容にはなるのですが、それを教える講師の雑談や脱線のなかに、小中高では触れられなかった教養や専門性、知があったという意味だと受け取っています。
出口 80年代半ばに代ゼミの講師になった私はいわば第二世代なのだと思いますが、駿台の山本義隆さんや河合塾の牧野剛さんなど第一世代の多くは全共闘世代ですよね。大学が封鎖されたり、学生運動に身を投じたりしたために、大学の研究職に就くことができず、予備校で職を得た人たちも多かった。
彼らや、高校を定年退職した元教師たちが、第一世代の予備校文化を作りましたが、初めから予備校講師になろうと考えていた人たちではないんですね。それに対して我々は初めから予備校講師を目指した世代なので、雰囲気がだいぶ違うんです。
小林 アカデミズムから逸脱しても、学問を軸に生きていた方々が、初期の予備校文化を作り上げたということですね。
出口 私が代ゼミの講師になった頃は、まだ第一世代の先生たちがいらっしゃって、私もその雰囲気に惹かれていました。彼らは教養があるだけでなく、思想的には反権力で、煽動するのも非常に上手い。高校を出たばかりの何も知らない学生がコロッと傾倒してしまうのは、ごく自然なことだったと思います。
(「中央公論」4月号では、この後も、全盛期の予備校や講師の実情、少子化の影響などから苦境に立たされることになった現状などについて、論じている。)
構成:柳瀬徹
1955年生まれ。関西学院大学大学院博士課程単位取得退学。ヒューマンキャンパス(現・ヒューマンアカデミー)、代々木ゼミナール、東進ハイスクールで講師を歴任。「現代文のカリスマ」として人気を博す。現在は「出口式みらい学習教室」や「出口オンライン教室」を主宰している。
◆小林哲夫〔こばやしてつお〕
1960年生まれ。教育、社会問題を中心に執筆。94年より『大学ランキング』の編集に携わる。『ニッポンの大学』『高校紛争1969-1970』『学校制服とは何か』『「旧制第一中学」の面目』『改訂版 東大合格高校盛衰史』『筑駒の研究』など著書多数。近著に『予備校盛衰史』。