武家における「奉公」の意味
しかし、これがまずかった。当時の頼朝が、なにを構想していたかというと主従制。主従制とは主人と従者の関係。これを構築することが彼にとっての最大の課題だった。
「主人と従者という意味なら、平安時代における朝廷の天皇と貴族の関係も主従では」などと思われたかもしれません。
武家の主従制のどこがオリジナルかというと、それは「命懸け」にあった。主人が従者に御恩を与える。従者は主人のために奉公をする。これが主従関係の基本ですが、武家の場合は、その主人に従う際に命懸けの奉公を行うことになるのです。具体的にいえば、戦争に出て、命を投げ出すことになる。
ここはよく勘違いされるところですが、戦場に出て敵の首(しるし)を取るなどして手柄を立てる、ということが奉公ではないのです。
そうではなく、将軍の馬前で、つまり将軍が見ているところで討ち死にを遂げる。それでいい。手柄を立てることではなく、自分の身を犠牲にして、献身的な振る舞いをすることだけで、それで十分に命懸けの奉公として数えられることになります。
それをやってくれると、たとえば源頼朝のような「主人」は、その死んだ武士の、残された家族などが所属する「家」にごほうびを与えて報いる。具体的には土地を与えることになるわけです。