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河合香織 女性初の東大教授は、覚悟と背中合わせの自由を生きた

中根千枝の遺したもの
河合香織(ノンフィクション作家)
中根千枝氏
 2021年10月に世を去った文化人類学者・中根千枝。ロングセラー『タテ社会の人間関係』などで知られる彼女について、ノンフィクション作家の河合香織さんが綴ります。
(『中央公論』2022年2月号より)

 都内のビルの間に立つ寺に、10年ほど前、ボストンバッグを手にした80代の「おばあさん」がふらっと飛び込みでやってきた。ここに墓を買いたいと話す。曰く、家の墓は武蔵野にあるが、永平寺(えいへいじ)に惚れ込んだために曹洞宗の墓に一人で入りたいのだという。

「親族に相談された方がいいですよ」と寺で働く事務員の男性が言うと、「私が決めたんだから、相談なんていいのよ」と「おばあさん」はきっぱりと言って、決断は揺るがなかった。

「おばあさん」が帰った後に、その人が世界十数ヵ国で出版され、日本では120万部に迫るベストセラーとなった『タテ社会の人間関係』の著者である中根千枝さんだと知り、男性は慌てたという。それから二人は交流を続け、「もう一度学問の世界に戻りたい」と男性が自身の気持ちを打ち明けると、千枝さんは「ぜひやるべきよ」と後押しした。

 その後、紆余曲折を経て、事務員だった男性は僧侶となり、千枝さんの四十九日の法要で、このエピソードを親族に向かって語った。文化勲章、紫綬褒章など数々の受章歴を持つ彼女が世を去った後、上皇、天皇両陛下から弔電を送りたいという話があったが、親族は辞退されたという。静かに旅立つことを願い、小さな葬式の代金まで生前に支払っていた。参列者は8人だけだった。

 私は千枝さんの甥と20年来の友人であったこともあり、幾度かインタビューをさせてもらったり、赤ワインやケーキをご一緒したりもした。その際に、いま社会人大学院生であることを話すと、「いつまでも学ぶことはできるわよ」と励ましてくれた。千枝さん自身、90歳を超えてもなお、英語やチベット語など外国語の論文や文献を読むことはやめなかった。学ぶことを心から愛し、そして自由を体中で抱きしめた人だった。

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