千枝さんの話には、レヴィ=ストロースやエドマンド・リーチ、柳田國男や渋沢敬三など、私の世代にとっては教科書に登場する人たちが次々登場することに驚いた。学生時代には同級生だった三笠宮様にノートを見せて差し上げ、自宅にも殿下が遊びにきた話なども聞いたが、権威や名誉に関心はなかった。表面的な取り繕いを嫌い、雑音を排し、本質をまっすぐ見据える視線の先は遠くまで広がり、スケールが大きい。
千枝さんが亡くなった後、彼女が1964年に『中央公論』に寄稿した「日本的社会構造の発見」を読み返してみた。この論考が絶賛され、『タテ社会の人間関係』の基となった。今でもその鋭さと論理に圧倒される。根底には文化人類学の知見があるが、千枝さんとの交流を経た私には、それだけではないように思える。日本社会の単一性を離れて、距離を置く自由な視点が奥底にあったのではないか。
北京で育ち、終戦の玉音放送を聞いてすぐに空色のワンピースに着替え、「女性だから無理」だと言われ続けても屈せず、だが結婚を諦めざるを得なかった人生の痛みもあった。論考では「家」という社会集団としての結束力が個々人の心身を縛ると述べているが、自身の人生の経験が、日本の単一社会ゆえの構造に疑問を持つ視点につながったのだろうか。
千枝さんは「タテ社会」の中にいる人には持ち得ない、外来者としての視点を持っていた。彼女が切り開いてくれたおかげで、けもの道からなだらかな道となったところは多方面に広がる。だが、未だに険しい道はある。この状況を千枝さんならどう言うだろう、と考えてみる。
【中根千枝/なかねちえ】
1926年東京生まれ。社会人類学者。世界各地でのフィールドワークの経験を通し、日本社会を分析して高い評価を受けた。70年に女性初の東京大学教授となった後も活躍。2021年10月12日、老衰で死去。享年94。著書に『未開の顔・文明の顔』(毎日出版文化賞)、『タテ社会の人間関係』など。
1974年生まれ。著書に『ウスケボーイズ』(小学館ノンフィクション大賞)、『選べなかった命』(大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞)、『分水嶺』など。