現代思想はすなわち「差異」に注目する
そこで、現代思想なのです。
現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。
人間は歴史的に、社会および自分自身を秩序化し、ノイズを排除して、純粋で正しいものを目指していくという道を歩んできました。そのなかで、二〇世紀の思想の特徴は、排除される余計なものをクリエイティブなものとして肯定したことです。
本書で説明しますが、遡ると、その原点は一九世紀のニーチェの哲学にあります。ニーチェは『悲劇の誕生』において、「ディオニュソス的なもの」という言い方で、荒ぶる逸脱のエネルギーをクリエイティブなものとして肯定しました。
逸脱にクリエイティブなものが宿るという考え方は、二〇世紀を通してポピュラーになりました。芸術家にはハチャメチャなところがある、みたいなイメージですね(それも「昭和的」になり、今では品行方正な人が好まれるのかもしれません)。
予定を超えて朝まで飲んでしまうとか、突然「今から海に行くか」となってレンタカーでドライブに出かけてしまうとか、そのくらいなら日常起こりうる軽い逸脱で、青春映画みたいな爽やかさです。「勢い」ですね。その一方で、最も極端には、犯罪という逸脱がある。
では、激しい社会運動で、法的にギリギリであるような行動などはどうなのか。法の隙をつく狡猾なビジネスはどうなのか。逸脱には実にさまざまな様態があります。考えてみてほしいのですが、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害は法によって遂行されたのであり、抵抗するには違法行為=逸脱が必要だったのです。