「外」に向かっていく運動が言祝がれなくなった理由
そもそも、ルールに則っている状態とはどういうことなのか。法的にセーフかアウトかというのは解釈が必要で、だから法曹の仕事があるのであって、ボタンを押したら答えが出るのではありません。ここには、ソール・クリプキというアメリカの哲学者が考えた「規則のパラドックス」という有名な問題が潜んでいます。詳しく知りたい方は、飯田隆『規則と意味のパラドックス』(ちくま学芸文庫)を読んでみてください。
僕は一九七八年生まれで、九〇年代から二〇〇〇年代にかけて精神形成をした人間なので、二〇世紀的なものをずっと背負っているのですが、デジタル・ネイティブの世代からすると、逸脱をポジティブに考えるというのは違和感があるかもしれません。
有名な「盗んだバイクで走り出す」という歌詞がありますが、あれはかつて、がんじ搦(がら)めの社会秩序の「外」に出ていくという解放的なイメージで捉えられていました。ところが今日では、「他人に迷惑をかけるなんてありえない」という捉え方がけっこう本気で言われているようです。そういう解釈は当初は冗談だったのですが。
今日では、秩序維持、安心・安全の確保が主な関心になっていて、以前のように「外」に向かっていく運動がそう単純には言祝(ことほ)がれなくなっています。