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大瀬康一×鈴木美潮 元祖特撮ヒーローは「変身」しない正義の味方

大瀬康一(俳優)×鈴木美潮(読売新聞専門委員)
鈴木美潮氏(左)、大瀬康一氏(右)
 日本初のテレビ特撮ヒーロー番組「月光仮面」が、1958年の放送開始から今年で65周年を迎えた。白いマントを翻して颯爽と現れた月光仮面は、子供たちの心を鷲摑みにして最高視聴率67・8%を記録し、国民的ヒーローとなった。主人公の祝十郎(いわいじゅうろう)と変装後の月光仮面の両方を演じた大瀬康一氏と、9月に『スーツアクターの矜恃』(集英社インターナショナル)を上梓した鈴木美潮氏が、特撮と日本特有のスーツアクターという文化について語り合った。
(『中央公論』2023年11月号より抜粋)

一人二役、お金は一人分

鈴木 まずは大瀬さんが月光仮面になったきっかけから教えていただけますか。


大瀬 当時の僕は東映の大部屋俳優で、たいした役がつかず、このままではダメだと思っていました。知人の勧めでオーディションを受けたのが「月光仮面」です。後にテレビドラマ「水戸黄門」のプロデューサーになる西村俊一と監督の船床(ふなとこ)定男に声をかけられ、(作家で原作者の)川内康範(こうはん)さんの千葉のマンションに連れていかれた。そこで、康範から一文字頂いて「大瀬康一」の芸名で「月光仮面」に主演することが決まりました。


鈴木 今では特撮ヒーロー番組は新人俳優の登竜門と言われ、高倍率のオーディションを勝ち抜いた若者がスター候補としてヒーローを演じます。当時、主演に決まってどう思われましたか。


大瀬 ピンと来なかったんですよ。テレビ黎明期で、自分が出演するものがどんな作品になって世に送り出されるのか、よくわからない。そのうえ探偵の祝十郎と月光仮面の二役で、「でもお金は一人分」と言われる(笑)。衣装も全身タイツでしょ。布地は薄いし、頭にはターバンにサングラス。異様な感じでしたね。でも「これで役者として食えるようになる」という喜びの方が大きかった。


鈴木 放送されるや大人気を博しますが、自宅で見た子供は少なかったでしょうね。当時のテレビ受像機の一般家庭への普及率は1割程度。制作した宣弘社が子供たちに放送を見せようと、東芝を説得して公園や広場に街頭テレビを設置したと聞いています。番組も低予算でスタジオを借りられず、宣弘社の小林利雄社長の自宅で撮影したそうですね。


大瀬 白金(港区)の自宅ですね。住宅街で、夜中にディーゼル発電機をガーッて回して撮影していました。今だったら騒音で近所から苦情が来る。大らかだったのか、何が起きているかわからなかったのか。ちなみに社長の家の車庫が(月光仮面の敵の)どくろ仮面のアジトで、応接間が祝探偵事務所でした。


鈴木 敵と味方が近い!


大瀬 近すぎますよ(笑)。ロケも都内で、まだ土台だけしかない東京タワーの前で戦いました。「へえ、今建てているのが東京タワーっていうんだ」と思いながら。だから僕は東京タワーに同級生みたいな親しみを感じています。


鈴木 第1部第2話「危険重なる」にその場面がありますね。東京タワーは58年12月に完成し、テレビ各局の電波を関東に送信し始めます。この年をピークに映画の観客動員数が減少に転じているあたり、映画からテレビへという、娯楽の主役の交代を象徴しているようで興味深いです。警視庁の屋上でも戦いましたよね。


大瀬 どくろ仮面とピストルの撃ち合いをしました。旧警視庁の屋上です。自衛隊基地でのロケもあり、本物の隊長さんが迫撃砲とかを撃ってくれた。何しろ予算がないから、現場で「お金がないのでよろしくお願いします」と一生懸命に説明したらやってくれたそうです。古き良き時代、だったのかな。


鈴木 カメラも映画用とは違ったとか。


大瀬 手巻きの玩具みたいなカメラで、ワンカット28秒しか撮影できませんでした。


鈴木 結果的に現在のヒーロー番組と同様の細かいカット割りとなり、スピード感あるアクション場面につながったのだから、何が幸いするかわかりませんね。月光仮面になる前となった後の両方を演じることの大変さはありましたか。


大瀬 予算があれば「今日は月光だけ」「明日は祝探偵」と撮影日を分けられますが、お金がないからできない。二役交互に演じると、髪形を整えるだけでも大変でした。

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