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濱口竜介×今井むつみ「映画制作を通して向き合う、言語と演技の本質」

濱口竜介(映画監督)×今井むつみ(慶應義塾大学教授)

感情表現を封じる意味

今井 『ドライブ・マイ・カー』で何度も繰り返される読み合わせのシーンは、まさに再接続が起こる瞬間を待つプロセスそのものなんですね。しかもそれが手話を含む多言語で行われていますし、『ワーニャ伯父さん』をそれぞれの母語への翻訳で読んだ人たちが、いつ起こるのかわからない再接続を、棒読みのようなセリフを反復しながら待っている。


濱口 はい。ロシア語で書いたチェーホフの身体からは、何重にも切断された状況を強いられています。


今井 『ワーニャ伯父さん』を劇中劇として組み込んで、それぞれの俳優さんの母語で演じるという発想は、どのように浮かんだものなのでしょうか?


濱口 言葉と体は繋がっているという考えが基にあったと思います。その繋がりがもっとも強く表現されるのは、それぞれの母語を使用するときである。これは当然ですね。

 一つの言語だけで演じさせなかったのは、簡単に言えば俳優たちによりよく見聞きしてほしかったからです。演技というのは、基本的にはうまくいかないものと考えています。それはセリフが俳優にとっては第二言語のようなものであるからで、必ず「ネイティブ」には響かないものです。そのことに目を瞑って流暢に喋らせようとすれば無理が生じます。

 俳優はこの無理なオーダーに対応すべく、観客の多くにとっては問題がないと思われる程度の演技を準備する傾向があるし、本番はそれを披露し合うことにもなる。結果、形は整っていても、実体は俳優各々のセリフの羅列や説明に過ぎないものを我々は見聞きすることになります。

 たとえば「何てつらいんだろう」というセリフがどういうニュアンスで出てくるかは、準備段階ではなく、「イマ・ココ」の演技の空間で決定されるべきものです。準備したものの再現でしかない表現や発話は、キャラクターの心情を安易に説明してしまうような一義的なものとなるわけですよね。


今井 はい。そのような映画や演技も多く目にします。


濱口 それを避けるために『ドライブ・マイ・カー』の主人公である家福(かふく)は、本読み中にセリフに感情を込めることを俳優たちに禁じます。これは言葉が再び身体と、状況にふさわしく結びつくための準備です。言葉は解釈を経由せず、多義的なまま身体に保存されて、本番ではそのときの身体の状態に応じたニュアンスと共に発話されます。

 この方法が機能するためには、演じる俳優たちの間に相互的な反応が生じなければなりません。よく見聞きすることで、言語情報だけではなく身体情報も含めた相互反応が生じる。ここで互いの母語を喋らせることによって、俳優たちは相手役をより深く見たり聞いたりしなくては演じられない状況が生じます。

 こうして注意力が高まることで、俳優たちのセリフがその場の状況にふさわしい感情的ニュアンスを帯びることがあります。それは俳優が演技の最中に、「この言葉はこういう意味だったのか」と気付く瞬間です。その気付きは身体にも影響を与えて、演技や声に豊かなニュアンスが宿る。家福という人はそう期待している、という設定なんです。


今井 そういうことだったんですね。


濱口 先ほど話に出たような、身体から遊離したテキストをどう身体に接続し直すかを、彼なりに突き詰めた結果の方法だったということです。


今井 濱口監督自身も同じ方法を考えたわけですね?


濱口 ええ。ただ実際に俳優に何が起きているか、私にはわからないので、演技は私にとって未だに謎です。

(続きは『中央公論』2024年5号で)


構成:柳瀬 徹 撮影:大河内 禎

中央公論 2024年5月号
電子版
オンライン書店
濱口竜介(映画監督)×今井むつみ(慶應義塾大学教授)
◆濱口竜介〔はまぐちりゅうすけ〕
1978年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業後、映画の助監督や経済番組のADを経て、東京藝術大学大学院映像研究科に入学。監督・脚本を手がけた作品に『ハッピーアワー』(シンガポール国際映画祭最優秀監督賞)、『偶然と想像』(ベルリン国際映画祭銀熊賞)など。

◆今井むつみ〔いまいむつみ〕
1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。94年米国ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。専門は認知科学、発達心理学、言語心理学。国際認知科学会フェロー(アジア初)。著書に『ことばと思考』『学びとは何か』『英語独習法』など。
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