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予備校文化の盛衰と拡散――市場性を利用した対抗運動とその帰結

藤村達也(奈良女子大学特任助教)

全共闘世代講師による文化的運動─1970年代〜80年代前半

 1960年代後半には第一次ベビーブーム世代の大学進学を迎え、大学進学希望者が飛躍的に増加し、多数の浪人生が構造的に生み出された。60年代末から90年代前半の期間には、大学入学者に占める浪人生の比率が25%から30%で推移し、四年制大学の男子に限れば約40%にも至っていた。「六・三・四・四制」や「一浪はヒトナミ(人並)」といった表現にも見られるように、浪人は一般的な進路選択の一部となった。とりわけ駿台予備学校、河合塾、代々木ゼミナールといった一部の予備校は全国に校舎を展開し、模擬試験等を通じて情報を収集して商品化する情報産業として競争を繰り広げた。70年代から90年代は予備校の最盛期であった。

 この時期に現れたのが全共闘世代と呼ばれた講師の一群だった。入試不正などにより大学・高校教員の兼業規制が厳しくなり、かわって全共闘運動の経験者を中心とした専業講師が増加した。彼らは運動で形成したネットワークを利用するなどして次々に予備校に流れ込んだ。この全共闘世代講師はシンポジウム、講演会、映画上映会、コンサート、生徒との登山や野球観戦など、一般的な入試対策から外れた様々な活動や教育実践を行った。河合文化教育研究所の加藤万里によれば、「予備校文化」という言葉には、「公教育=中心、予備校=周縁という社会の既存の構図を前提にしたうえで、そうした周縁であるからこそ、逆に制度に縛られない柔軟で自由な教育ができ、そのことによって硬直した公教育=中心を鋭く撃つことができる」という思いが込められていたという。

 こうした実践を可能にしたのは予備校が有する市場性であった。予備校の特徴として、教師が生徒を評価する公教育とは対照的に、生徒が講師を授業アンケートなどで評価する構造がある。予備校講師は年度単位で雇用され、評価によって次年度の契約継続や給与、担当授業の内容や数などが決まるのが一般的である。

 このことは予備校講師が生徒からの選択や講師間の競争、不安定な雇用に晒されることを意味するが、同時に全共闘世代講師はこの構造に積極的な意義を見出していた。第一に、市場性は生徒に対する教師の管理や権威の不在に読み替えられ、公教育における管理教育や大学における権威主義を批判する論拠となった。第二に、授業アンケートによって待遇が決定するということは、生徒からの評価を勝ち得てさえいれば、自由な授業実践が可能であることを意味していた。入試対策にとらわれない実践は、予備校において例外的に発生したのではなく、予備校の構造ゆえにこそ生まれたのだといえよう。

 こうした全共闘世代講師の代表的存在が牧野剛(つよし)である。牧野は名古屋大学在学時に学生運動に参加し、河合塾国語科講師となった。牧野は予備校文化の中心的存在であり、授業中に飲酒する、生徒とのコンパや登山、野球大会などを開催する、PKO法案への反対デモに生徒を動員するなどの目立つ振る舞いや、共通一次試験の問題を「的中」させたことによってマスコミや受験生の注目を集め、賛否はあれども高い人気を有していた。

 牧野は管理教育や権威主義だけでなく、予備校における受験技術や偏差値主義に基づく受験指導をも内部から批判し、指導にあたっては受験生との人格的交流を重視していた。牧野の指導は、自発性を引き出す人格的関わりと入試対策を架橋し、浪人生活を外的に強制されたモラトリアムとして位置づけ、将来の人間形成にも繋がる期間として積極的な意味を付与しようとするものであった。こうした指導は、受験体制の内部にありながら受験体制から疎外された大衆的な受験生を包摂し、再び受験勉強へと水路づけるものであった。

 牧野に代表される全共闘世代の講師が形成した予備校文化とは、市場性により教育が商品化されることをあえて肯定的に捉え、予備校内部において既存の受験体制に収まりきらない文化的領域を作り出し、公教育における管理教育や大学の権威主義を相対化する対抗的な運動であった。


(「中央公論」4月号では、この後も受験競争がさらに大衆化した1980年代から今に至るまでの予備校文化の展開について論じられている。)

中央公論 2026年4月号
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藤村達也(奈良女子大学特任助教)
〔ふじむらたつや〕
1992年大阪府生まれ。京都大学教育学部卒業。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程、同研究科助教を経て現職。専門は教育社会学、歴史社会学、文化社会学。
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