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薩長同盟は過大視されている

坂本龍馬あて木戸孝允書簡を読み直す
家近良樹(大阪経済大学教授)

木戸書簡の異様さ

 ところで、今日、我々が同盟の内実を知りうるのは、有名な坂本龍馬あて木戸孝允書簡が存在しているからである。本書簡はあらためて指摘するまでもなく、西郷(薩摩側)から木戸(長州側)に対して提示(言明)された六ヵ条が含まれていることで、広く世に知られている。

 その六ヵ条について触れる前に、留意しておきたいのは、この書簡はかなり異様なものだということである。私が、このことに気づいたのは、全文をあらためて読み直し、六ヵ条をはさむ前後の木戸の文章に接したときであった。この六ヵ条前後の個所で木戸が記している要点は、次の二点である。

 第一点は、西郷が自分(木戸)に提示(言明)した六ヵ条が皇国にとって極めて大事なものだと、その重要性をさかんに強調していることである。第二点は、自分が理解した内容に誤りがないかどうかを龍馬に問い、彼の「裏書」を求めていることである。

 問題はその異様なほどのしつこさにある。書簡中の該当する文章を拾いあげると、前者に関しては、「皇国の興復にも相係り候大事件」「皇国の大事件」「六廉の大事件」「皇国の大事件」とある。後者に関しては、「(裏書を)ひとえに願いあげ奉り候」「ひとえにひとえに願いあげ奉り候」「ひとえに願いあげ奉り候」「ひとえに願いあげ奉り候」とある。いずれも四度ずつにわたって記されている。普通、何かを主張したり、あるいは依頼するにしても、同一書簡においては、せいぜい二度が限度であろう。異様だと評さざるをえない。

 こうなるに至った理由として考えられるのは、次の二点である。第一点は、藩命によって京都に派遣され、長州藩を代表して会談に臨んだ木戸は、手ぶらでは山口に帰れなかったことである。換言すれば、出張の成果を必要としたということである。そして、そういう意味では手柄は大きいにこしたことはなかった。またこのことは、木戸の今後の藩内での立場を強化するうえでも重要であった。さらに木戸にとって好都合だったのは、坂本龍馬が同席していたことであった。龍馬は、薩長両藩の和解に向けて画策してきた経緯からいっても、同盟の意義を強調する相手としては最も相応しい人間であったからである。

 第二点は、西郷ら(薩摩側)が口頭で伝えた発言内容を文書化する必要が木戸にはあったことである。これは、むろん、口頭での約束(口約束)では、将来状況が変われば、その実行が保証されないという木戸の不安に基づいたと考えられる。そのため、龍馬を保証人にして、西郷らの発言を文書化する必要が木戸にはあった。身も蓋もない書き方をあえてすれば、木戸には龍馬の裏書を獲得することで、薩摩側から逃れられない言質を取る必要があったのである。すなわち木戸は、将来の薩摩側の約束の履行を確実なものとするため、熟考のすえ、このような手段に打って出たと見なせる。

 以上、同盟について論じる場合、我々が唯一無二の史料としてきた木戸書簡が、彼の思惑たっぷりの異様さに満ちたものであったことを指摘した。そして、同盟の意義がことさら強調された、この木戸書簡のみを対手にして、これまで議論がなされてきたのである。

 反面、薩摩側には同盟に関する史料はいっさい残存していない。この点に関しては、従来、同盟の成立が極秘とされたためだと解釈されてきた。しかし、はたして、そうであろうか。私のこれまでの経験からいって、重要であればあるほど、秘密事項というのは洩れやすいように思う。ましてや藩レベルの同盟成立なら、なおさらである。

 そこで私が考えたのが、いわゆる同盟の内容の重大性について、西郷ら(薩摩側)と木戸両者の間に認識の相違があったのではないかということであった。木戸が本心からにせよ、意図的にせよ、同盟を極めて重大なものと位置づけよう(思い込もう)としたのに対し、西郷ら(薩摩側)がそれほど重大視してはいなかったのではないかというのがそれである。

(全文は本誌でお楽しみ下さい)

〔『中央公論』2010年10月号より〕