日ソ戦争と認知バイアス

麻田雅文(岩手大学准教授)

震災で生じた認知バイアス

 同様の調査が日本では行われていないので推測だが、日ソ戦争の認知度はロシアよりも日本が下回るかもしれない。では、日ソ戦争は日本にとって重要ではないと言えるだろうか。


 日ソ戦争中にソ連軍が千島列島へ侵攻したことが、現在の北方領土問題につながっている。同様に、ソ連軍の満洲占領がシベリア抑留や中国・南樺太(現在のサハリン島南部)の残留邦人・残留コリアンの問題の出発点となった。こうした点からも、日本人にとって多くの悲劇につながった戦争であり、現在も未解決の問題を残す戦争だと言える。また、東アジアに広げて考えるならば、中国における国共内戦の帰趨や朝鮮半島の分断も、日ソ戦争抜きには考えられない。


 詳細は拙著『日ソ戦争』(中公新書)に譲るが、本稿では現代人も無縁ではない認知バイアスの面から日ソ戦争を再考してみよう。認知バイアスとは、心の働きや歪みによって非合理的な選択をしてしまうことを説明するために作られた、心理学の用語である。


「正常性バイアス」はその一例だ。人は滅多にない出来事に対しては鈍感になると言われている。つまり、災害や事件・事故などが予測される状況でも、「まだ大丈夫」「今回は大丈夫」など、都合の悪い情報を無視、あるいは過小評価する。


 例えば、2011年3月11日に起きた東日本大震災では、溺死が死因の9割を超えた。もっとも、津波の襲来は地震発生から30分ほど経っていた。地震発生直後に津波を予想した男性が大声で避難を呼びかけたが、聞く耳を持たれなかったという話もある。事情があって避難できなかった場合を除き、地震直後に避難できるのにしなかった人々には少なからず「正常性バイアス」が働いたのだろう。

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