戦前日本で機密費はどのように扱われていたのか――。『五・一五事件』(中公新書)の著者が、これまでの経緯を確認し、軍と政治のかかわりに目を向けて論じる。
(『中央公論』2022年1月号より抜粋)
(『中央公論』2022年1月号より抜粋)
- 機密費というブラックボックス
- 明治憲法体制における機密費の統制
- 陸軍部内における機密費の統制
- トリガーとしての満洲事件費
機密費というブラックボックス
「軍閥政治が実現した素因の一として、私はこの機密費の撒布が極めて大なる効果を挙げたことを否(いな)み得ない」。東京裁判で証言台に立った田中隆吉(りゅうきち)(元陸軍少将・兵務局長)は、著書『日本軍閥暗闘史』で莫大な陸軍機密費が戦前の日本政治に与えた影響を訴えた。
機密費とは何か。一般的には機密の用途に充てるため、支出の内容を明らかにせず、監査を経ることもなく使用できる経費を言う。戦前の国費支出は、使途と金額、時日の明示が求められた。だが機密費だけは例外で、使途を秘匿できる費目として歳出予算中に公然と認められており、会計検査院の検査対象からも除外されていた。
なぜ機密費が必要とされるのか。それはたとえば軍に関する限り、対外謀略に使用する必要があるからという。謀略には忌まわしいイメージがつきまとうが、桐工作(重慶を対象とする日中和平工作)を主導した今井武夫によれば、謀略とは「戦場における損害を最小限にして人命を尊び、戦後における収拾を容易にする」(『昭和の謀略』)ものであった。戦闘ではなく交渉での解決を志向すれば、そのための秘密資金が必要となる。
とはいえ、上記の説明は一面で正しくても、戦前機密費の性格をすべて表すわけではない。何しろ機密費は、永久に使途の明かされない「ブラックボックス」である。本当に謀略だけに用いられたと信じる人は少ないだろう。また田中隆吉が暴露したように、謀略用の機密費が国内の政界に還流し、政府と軍の蜜月を演出したとすれば、これはこれで検討に値する。そこで以下、いくつかの戦前機密費研究の成果をもとに、歴史的経緯や伝承をまじえて、謀略と機密費、そして軍と政治との関係の一端をひもといてみたい。