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近代日本の謀略と機密費の関係 小山俊樹

使途の明かされない「ブラックボックス」の役割とは何か
小山俊樹

トリガーとしての満洲事件費

 陸軍関係者が、そろって機密費の濫費が始まった契機と語るのは、1931年の満洲事変である。政府は出征費用の支出を許し、臨時事件費として「満洲事件費」が計上された。これは戦争期の臨時軍事費特別会計とは異なり、一般会計に分類されるものだが、満洲事件費は約70ヵ月分の総計約19億500万円にのぼる支出となった。

 注目すべきは、満洲事件費の軍関係予算のうち、機密費の費目分が大幅に増やされたことである。たとえば1933年度の陸軍機密費を見ると、通常の機密費年度予算約25万円のほかに、満洲事件費中の機密費として1000万円を超える額が計上されている(表1)。じつに40倍の別枠予算が出現したのである。満洲事件費支出の緊急勅令案を審査した倉富勇三郎(枢密院議長)は、「とにかく機密費ということが嫌なもの」と懸念して、「機密費」とは「疑惑を生じ易き」ものだと荒木貞夫陸相に述べた。すると荒木は、陸軍としても機密費は避けたいが、実際には中国に貸し付けて「秘密の約束」で償還させるため、表に出せないのだと弁解した。

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 軍事課予算班長であった西浦進の回想によれば、満洲事変の前、組織全体で使える機密費は14万円ほどで「運用もクソもない」ものだった。柳条湖事件の直前に、石原莞爾(かんじ)(関東軍参謀)が永田鉄山(軍事課長)に間島(かんとう)(満洲の朝鮮民族居留地)工作の機密費を要求するため、幾度も私信を交わしたが、そこで問題になっていた額はわずかに500円であった(『昭和陸軍秘録』)。

 それまで資金不足に困っていた関東軍は、事変の勃発によって、一転して潤沢な機密費を使えるようになった。1936年に今村均(ひとし)が関東軍参謀副長として着任した時には、機密費が接待の名目で料亭での飲食に費やされ、幕僚を腐敗させる一因になっていたという。今村はさらに、関東軍の機密費に陸軍省からの莫大な預かり金があり、指示があれば陸軍省に戻すという資金プールのしくみがあることを知った(「政治談話録音」)。

 陸軍機密費研究の第一人者である大前信也は、皇道派を糾弾する林銑十郎(せんじゅうろう)陸相のメモに「機〔密〕費が満洲より流入し、使用されあり」とあることから、「皇道派の隆盛は、この機密費の使用と関係しているのでは」と推測する(『陸軍省軍務局と政治』)。急拡大した機密費は、陸軍の活動を活性化させるとともに、その組織の変容をも促していく。

小山俊樹
〔こやまとしき〕
1976年広島県生まれ。京都大学文学部卒業、同大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。立命館大学講師、帝京大学講師・准教授を経て現職。著書に『憲政常道と政党政治』『評伝森恪』『五・一五事件』『近代機密費史料集成1・2』(編著)がある。

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