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商船三井問題に見る新たな歴史認識問題

川島真(中国外交史研究者)

 二〇一四年四月十九日、中国浙江省のジョウ泗馬迹山港で商船三井の鉄鉱石運搬船"BAOSTEEL EMOTION"が上海海事法院での判決に基づいて差し押さえられた。これは、一九三六年に原告の祖父にあたる陳順通の経営する中威輪船公司が、順豊号、新太平号を大同海運株式会社に貸し出したが、それが戻らなかったとして、レンタル料や船の代金などを、原告である陳震、陳春らが一九八八年十二月三十日に上海海事法院に、大同海運の流れをくむ商船三井を相手に訴えをおこしたことに始まる。一九八七年の民法通則の施行二年以内であったため、時効は適用されなかった。

 判決が出たのは二〇〇七年十二月七日で、商船三井側は二九億一六〇〇万円の支払いを命じられた。一〇年八月六日には二審にあたる上海市高級人民法院で一審の結果が支持され、三審にあたる最高人民法院では同年十二月二十三日上告が棄却され、判決が確定した。しかし、商船三井側はこれを不服として支払いを拒否していた。二隻の船は、一九三七年に始まった日中戦争中に軍に徴用され、沈められており、支払い義務はないというのがその主張であり、示談交渉も働きかけていたという。

 この件は、一面で中国の裁判所で確定した民事の判決内容の履行をめぐる問題でありながら、日中双方に大きな波紋を投げかけた。中国で相次ぐ戦時中の徴用工(強制連行、強制労働)をめぐる日系企業に対する訴訟、また韓国でも同様の訴訟があり、戦前以来の企業にとって、こうした歴史的な事案がアジアビジネスの大きなリスクとして浮上しかねないのである。

 日中関係では、政治外交面での関係が悪化しても、経済面での交流は緊密に行われているというのが、小泉政権以来の日中関係の基調であった。だが、今回の事案によって、歴史認識問題が経済の実務に暗い影を投げかけているのではないか、との懸念が生まれたのである。

 これについて日本政府は、中国側の日本に対する戦争賠償請求の放棄を前提とした一九七二年の日中国交正常化の精神を揺るがしかねないものとして遺憾の意を表明し、中国側も今回の事案が戦争賠償とは無関係だと応じた。周知の通り、一九七二年九月二十九日、日中国交正常化に際して署名された日中共同声明には次の文言がある。「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」。一九七二年以来、日本の司法はこの日中共同声明で放棄されたのは国家賠償、つまり中国政府が請求する賠償だと認識してきた。だから、民間がおこす賠償請求は日本の司法の場でも行われてきたのである。しかし、個人や企業が日本政府を相手取って行う訴訟は、時効と明治憲法の下にある「国家無答責」原則のため、基本的に原告勝訴は困難であった。そのため、中国の民間が日本の民間を相手に行う訴訟で、何らかの事由で時効がクリアできる場合にのみ、原告勝訴がありえた。まさに、特殊事由で時効をクリアできた今回の中国での訴訟と同じである。つまり、日本でもありえたことが中国でも起きたといえるだろう。

 しかし日本では、最高裁判所が二〇〇七年四月に戦争賠償についての判断を大きく変更した。「日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は、日中共同声明五項によって、裁判上訴求する権能を失ったというべきである」こと、つまり日中共同声明によって、個人賠償請求権、つまり民間賠償も放棄されたとの判断を示したのである。

 この国家と民間の賠償請求をめぐる判断の変更は、日中間で共有されていない。中国での今回の判決は日系企業にとって不安材料となるだけでなく、戦争賠償請求をめぐる見解の相違を浮き彫りにするものでもあった。
(了)

〔『中央公論』2014年6月号より〕