(『中央公論』2022年8月号より抜粋)
- 「共感の共同体」としての台湾
- ウクライナ侵攻による動揺
- 「今日のウクライナは明日の台湾」
- 対米不信につけ込む中国
「共感の共同体」としての台湾
台湾は「共同体」としての様相を日々強めている。台湾の観察を続けてきた人間としての偽らざる実感だ。そして、ロシアによるウクライナへの侵攻を受けて、共同体の結束はさらに強まった、と言えるのではないだろうか。
故・李登輝(りとうき)元総統が中国によるミサイルの威嚇をかいくぐって実行した1996年の直接総統選挙。以来、台湾住民が自分たちのリーダーを4年に1度決定する選挙が7回にわたって、極めて高い投票率(前回2020年は74・9%)のもと、着実に実施されてきた。その間、00年に国民党から民進党へ、08年に国民党へ、16年に再び民進党へと、政権交代が計3回起きている。
台湾の選挙は、その派手な応援や熱狂ぶりから、一見、政治好きな人々のお祭り的イベントというように低く見られてしまいがちだ。
しかし、それは違う。台湾独自路線の民進党が勝とうが、対中融和路線の国民党が勝とうが、台湾選挙の意義は一つしかない。「自分たちの指導者を選ぶ」というワンテーマに向けて、米大統領選並みに長い選挙キャンペーン期間中、約2350万人の全住民の共同体意識を凝集させるプロセスにある。
中国は、台湾を「国境」のこちら側に何としてもとどめる「一つの中国原則」を掲げている。これに対し、今日の台湾で、中国共産党が指導する「中華人民共和国」という国家に帰属したいと考える人間はほとんど皆無であろう。軍事力、経済力、外交力、それらを総合した中国の国力は、言うまでもなく台湾を圧倒している。それでも台湾の人々は自らを中国から切り離そうと苦闘を続けている。
それは、選挙を通して育てた台湾という共同体を守るためにほかならない。近年、台湾の選挙キャンペーンなどで多用される「自己国家自己救(自分の国は自分で救う)」という言葉が示すように、たとえ米国の軍事力が台湾の安全の鍵を握っていようと、最終的に台湾の将来は台湾人が決めるという自己決定権の死守において台湾人がぶれることはない。
その台湾にとって、自己防衛のための最大の「武器」は、すでにこの面では相当に衰えてしまった日本からは想像もつかないほどの、センシティブで豊かな共感力にあると、筆者は常々考えている。
20年以来の新型コロナ対策で世界を驚かすほど自主的な全民一致型の防疫政策に取り組むことができたのも、友好関係にある日本の要望をはねつけて今年2月まで福島県など5県産の食品輸入をあえて拒否し続けたのも、まずは台湾の利益を最優先に考える「台湾ファースト」の集合意識という点から読み解くことが可能だ。
そうした共感力は民主化後の絶え間ない選挙のプロセスで磨かれたものなのである。