ジョー・バイデン大統領の就任から一年の間に米国のユーラシア政策を象徴する二つの出来事が起きた。米国の国益が果たしてこの地域にあるのか、という根本的な疑問を抱えながら、冷戦期のようなソ連の脅威封じ込め、さらに9・11後の対テロ政策という明白な介入理由のある時代が終わった今、ますますその疑問は大きくなっている。
※本稿は、公益財団法人日本国際フォーラム編『ユーラシア・ダイナミズムと日本』収録の「『ポスト米国』のユーラシア・ダイナミズム」(杉田弘毅)の一部を抜粋・再編集したものです。
- 米国にとってユーラシアとは何か
- 米国のユーラシア軍事介入の基準
- 米外交・安全保障の三潮流
- ユーラシアへは抑制主義の介入
米国にとってユーラシアとは何か
米国人にとって、ユーラシアとは遠い地である。米国の軍事戦略家トマス・バーネットは、ユーラシアの特性について「統合されない空白」との表現を使っている。「統合されない」とは国際政治の安定の中心である西欧や北米との結びつきやグローバライゼーションに包摂されず、その厳しい土地に住む人々は家族や部族の紐帯を重んじ、法の支配の考えがなく、個人の自由や国際法の規範とは縁遠い、という説明である。
「他者への共感」をモットーに史上初の黒人大統領として多文化共存を促したバラク・オバマも、ユーラシアに対しては共感ではなく、理解不能という反応を見せた。化学兵器の使用という「レッドライン違反」が明らかになったにもかかわらずシリアへの軍事介入を2013年夏に見送った際の理由を、米国のように法律、その基礎にある自由主義思想で出来上がっている国家には理解できない地域なのだから、介入しても事態は改善しないと説明した。「愚かな介入はするな」がこの時のオバマの口癖だったが、これをユーラシア蔑視、血の通わぬ冷酷と見るか、あるいは賢い現実主義者と見るかは判断が分かれる。
オバマは「アフガニスタンからタリバンを取り除いて民主主義政権を打ち立てる、などと約束したら、その言葉の責任を将来問われることになる」とも語っている。2021年夏の無残な米国のアフガン撤退を予言するような言葉だ。オバマの考えの対象は中東やアフガニスタンを越えて広くユーラシアを指すのであろう。確かにユーラシア大陸の特徴である歴史や民族、宗教、文化への強いこだわりは、地域性を超えた普遍的価値を尊ぶ米国人にとって理解が難しく近寄りがたいというのが本音であろう。
こうした縁遠い地域という認識の一方で、中国の「一帯一路」構想、ウラジーミル・プーチン大統領がウクライナ侵攻で露わにしたロシア復興の情念、アブラハム合意など中東新秩序の胎動、エネルギーネットワークの構築など、ユーラシア大陸で起きるダイナミズムに米国人は無関心ではいられない。スーパーパワー(超大国)の表現を模して、スーパー大陸が出現しつつあるとの言い方も聞かれるようになった。異質、エキゾチック、不可知、畏怖などの感覚的な反応を超えた、より具体的で厄介、そして何よりも圧倒的な存在としてのユーラシア大陸が意識されだした。
20世紀を通して米国のユーラシアへの関与は、ソ連の拡大・南下の阻止、ペルシャ湾地域からの石油の順調な輸出、イスラエルの安全保障という限定された目標をもっていた。このため、冷戦期の特徴であるゼロサム型の思考を基に対処方法を見つけるのは比較的簡単だった。しかし現代のユーラシア大陸は活性化し、より多極化、複雑化しスーパー大陸となる潜在力を持つ。その世界最大の大陸に、超大国の米国はどう対応すべきか考えあぐねているという状況であろう。
中国とロシアに関しては、米国は確固とした政策を持っている。バイデンは中国に対しては「競争と協調」を掲げて、対外政策の総力を動員して対峙している。ロシアに対してもウクライナ侵攻ではその拡大を封じ込めるという意図を持った。しかし中国とロシアを除くユーラシア大陸、つまりロシア以外の旧ソ連地域、中東、南西・中央・東南アジアについては、その戦略はくっきりとは浮かび上がってこない。そして米国にとっての悪夢である中露同盟の出現についても、「両国の国益は異なり、実現しない」という受け身の楽観主義を超えた対応は見えない。