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「極中道」は民主主義の救世主か、破壊者か

吉田 徹(同志社大学教授)

左右ポピュリズムへの嫌悪

 こうした傾向に積極的意義を見出す論者も少なからず存在する。

 イスラエル出身の政治評論家ヤイール・ズィバンは、「極中道」という言葉自体は用いていないものの、最近の右派や左派ポピュリズム、自国ファーストを唱える政治勢力の伸張を前にした中道政治の再興を主張している。曰く、政治における「中間(ミドル)」と「中道(センター)」とは異なるものであって、前者は左右両極との相対的距離から採られる立場であるのに対し、後者は、自由民主主義の擁護、個人の権利、機会の平等、市場原理とセーフティネットの両立などを通じた、より良い世界構築が可能になるという確信に基づいた政治だと主張している(The Centre Must Hold, 2024)。ポピュリズムは複雑な問題に簡単な解答を提示し、敵対と分断を糧とするのに対し、中道は世界の複雑さを引き受けつつ、恐怖に対して希望を提示する存在になるべきだという。

「極中道」という言葉を最初に広めたのは、批評雑誌として名高い『ザ・ニューヨーカー』記者だったレナータ・アドラー『ラディカルな中道に向けて(Toward a Radical Middle)』(1970年、未邦訳)とされる。もっとも、政治的・経済的リベラリズムを編集方針とする英『エコノミスト』誌も一時期、自身を「極中道という歴史的な立ち位置」と掲げていたことからも分かるように、これは基本的には進歩、個人主義、資本主義といった近代的価値を擁護する立場だと位置付けてよいだろう。

 ただし、こうした主張に既視感があるのも事実だ。冷戦が終わってから、米クリントン政権が掲げた「ニュー・デモクラッツ」、英ブレア政権が提唱した「第三の道」、独シュレーダー政権による「新しい中道」など、当時の社民政党は既存の左右イデオロギーから距離を取った政治的スタンスの再定義を試みてきたが、「極中道」をそのリバイバルとみなすことも可能だからだ。もっとも、過去のそれが冷戦終結を迎えた社民路線の再定義だったのだとすれば、今回は左右ポピュリスト政治に対するアンチテーゼという意味合いが強い。

 こうして、アメリカ政治における文脈ではあるが、在野の政治理論家マーク・サティンは、普遍的な医療システムや経済的アファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)、グリーン・トランスフォーメーションなどの施策を通じて、いまの二大政党に自らを見いだせない有権者をまとめる「ラディカルな中道」を唱えた(Radical Middle, 2004)。同様に、シンクタンク「ニューアメリカ財団」(現、ニューアメリカ)の研究者2名は、無党派層をまとめる政策として、教育バウチャーやベーシック・インカム政策の導入などを通じた、新たな「極中道」の形成を呼びかけている(T.Halstead&M.Lind,The Radical Center, 2001)。

 これらに見られるのは、ポスト冷戦期に世界を覆ったかのように見えた自由民主主義と呼ばれる政治システムの、保守と発展を諦めるべきではないとする意識だ。そして、キャンセル・カルチャーやヘイト政治など、アイデンティティ政治に彩られた左右のラディカル政治に困惑している中間層に対して、具体的な政策的価値を提示することで国民をなびかせる政治こそが「極中道」だとされる。少なくとも、哲学者のカントが「内容なき思想は空虚であり、概念なき直観は盲目である」(『純粋理性批判』)と述べたように、政治的実践は政治的言説によっても支えられなければならないという、真摯な知的営みをこれらに認めることができるだろう。

「極中道」への批判

もちろん、以上のような現実政治での展開や言論上の政治運動に対する反論も存在する。


(続きは『中央公論』2024年10月号で)

中央公論 2024年10月号
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吉田 徹(同志社大学教授)
〔よしだとおる〕
1975年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は比較政治、ヨーロッパ政治。『ミッテラン社会党の転換』『二大政党制批判論』『ポピュリズムを考える』『感情の政治学』『アフター・リベラル』『居場所なき革命』など著書多数。
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