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三浦哲哉×山口祐加「自由で奥深き自炊の世界へようこそ」

三浦哲哉(青山学院大学教授)×山口祐加(自炊料理家)
山口祐加氏(左)、三浦哲哉氏(右)
 自炊に関する書籍を出した三浦氏と山口氏。料理をめぐる常識や価値観が変わる中、食の現在地について対話を通して考えていく。
(『中央公論』2024年5月号より抜粋)

面倒より感動を大きくするために

山口 三浦さんは著書『自炊者になるための26週』(朝日出版社)の中で、一貫して「風味の魅力」について書いています。私たちは「においを味わって食べている」というお話などは、本当にその通りだと思いました。そもそも三浦さんは料理がご専門ではないですよね。なぜ自炊の本を書こうと思ったのですか?


三浦 もともと僕は料理の本が好きで、特に20代半ばに丸元淑生(よしお)さんの著作にハマりました。原理主義的に一から自炊について考え直すことを強いる、エキセントリックでさえある著述家です。以降、他の著述家の本も熱中して読んできました。それらを読むことによって「自分が変わった」という実感があったんです。

 また、僕の専門は映画批評・研究ですが、映画に通じるような魅力が料理にはあるのではないかとずっと考えていました。そのポイントが「風味」なんですよ。風味とは味と一体になった匂いのことです。匂いはきわめて多くの情報を運ぶことがわかっています。ある意味ではキッチンの外の世界を映す。たとえば夏の鮎にはすいかのような独特の香りがあります。エサとなる川の岩苔が由来ですが、この香りに媒介されて、私たちは鮎を食べると夏の清流を思い浮かべます。あるいは、旬の野菜の鮮やかな香りによってその季節ならではの情景を思い出したり、ハーブやスパイスによって異国へ想像の翼が羽ばたいたり。自分はこんなふうに映画そっくりに料理を楽しんできたという実感がありますし、それがどういうことかをこの本で伝えたいと思いました。


山口 自炊を成立させるには「感動>面倒」を念頭に置く必要があるとも書かれていましたが、面倒という壁を越えて料理するにはどうすればいいかというのは、すべての料理家が考えていることだと思います。ただ、70代や80代の料理家の先生方を見ていると、料理は「やって当然」というニュアンスを感じることもあって。やはりどうしても世代差があるし、それは悪いことではないけれど、価値観は変わっていくものです。要するに、今の時代は自炊しなくても生きていけるわけですが、あえて料理をする意味や楽しさを伝えるのが自分の役割だと思っています。だから三浦さんと私の自炊に対する問題意識には共通する部分があると感じつつ、書き手が違うとアウトプットの仕方がこうも変わるのかと驚きました。


三浦 今や外食や中食(なかしょく)が充実し、料理は「自分でやらなくていい家事」になりつつあると、山口さんはご著書『自分のために料理を作る──自炊からはじまる「ケア」の話』(晶文社)でおっしゃっていますね。その通りだと思いました。じゃあ、しなくてもよい料理をなぜするのか、という問いが出てきます。昔の規範的な家庭料理書では「女性だから料理をする」と教えられた。プロが読む専門書ならば、「仕事だから料理を学ぶ」です。

 でも現代の入門書は、「なぜ料理をするのか」を一から説明しなければならない。そこに入門書ならではの面白さがあります。技術論以前に、著者の料理についてのスタンス、さらに言えば人生観や哲学まで関わってくるからです。山口さんの本もまさにその点においてとてもユニークで魅力的な入門書だと感じました。

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