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東電の工程表と民主党の政策が絵空事に陥る本当の理由

時評2011
牧原 出(政治学者)

 福島第一原発はどうなるか。今でも心配の種なのは変わらない。そこで注目されているのが、東京電力の発表した「工程表」である。これは今後の作業手順を示すものであり、四月十七日に発表され、五月十七日に「見直」された。その間のメディアの反応は凄まじいものだった。最初の工程表は、全く現実的ではないとされ、改定されるやいなや、「それみたことか」とばかりに、内容が根拠に乏しく、原発の安定的冷却はさらに遅れるだろうと責め立てている。早くトラブルが収束してほしいという願望がそうさせているのは、分からなくはない。だが、この工程表に記載された数ヵ月後の予定が、不確定なのは明らかである。むしろ、今後何をしなければならないのか、最低限の内容を国民に示し、その上で何が問題となりそうかを明らかにした点で、何もないよりはよほど有益だった。

 同じような反応は、二〇〇九年の総選挙で民主党が発表したマニフェストに対しても現れた。このマニフェストは、当初から財政の裏打ちがない、ばらまきに見えた。また政策内容も雑で、法案に持ち込むのに相当苦労するだろうという印象が強かった。二〇一〇年の参議院選挙で民主党が敗北し、政権が参議院の過半数議席を失うと、自民党は、法案の参議院通過の条件として、マニフェストの「撤回」を強硬に主張し、公明党もこれに同調した。並行して、メディアでも、マニフェスト通りに政策が実行されないのは公約違反と批判する論調が多々見られた。三月の震災直前は、予算は衆議院の可決で成立するとしても、関連法案の成立の見通しが全く立たず、マニフェストの撤回はもはや時間の問題にさえ見えたのである。

 このような工程表やマニフェストと比べると、現在、国と自治体で策定されつつある「復興計画」へのメディアの扱いは寛大である。それが達成されるかどうかに目くじらを立てて、追及することにはならないだろう。十年の計画期間となるであろう「計画」の十年先まで問いつめる人がいるとは思えない。これまで政府の策定してきた「計画」とは、ある種の絵空事と相場が決まっていたからである。

「工程表」という政策文書を活用したのは、小泉純一郎内閣の経済財政諮問会議であった。ここでは、通常の「計画」よりも短い二〜三年くらいの期間で不良債権処理などの施策を行うイメージを示した。そして、政府が機動的に経済に対応している印象を国内外に与えたのである。

 工程表やマニフェストへの報道に共通するのは、こうした文書を、業務マニュアルのように見ていることである。いずれも、一見作業工程を記載した文書ではあるが、不確定な原発の収束過程や政治状況の中で、官邸・東電本店による将来の予定を関係者に公表するものである。鉄道を定時運行する部内計画とは全く異なるのである。

 こうした混同が生まれる一原因には、強い現場と弱い本部のリーダーシップの組み合わせという日本社会の特徴がある。つまり本部とは何かというイメージが誰にも見えていないのである。だからこそ私たちは、本部の戦略計画を、すぐさま現場のオペレーション・マニュアルと受けとめ、計画通りに進まないであろうことにいらだってしまう。これに距離をおくべき報道機関も、あるべき戦略計画は何かという評価基準がないまま、政府の対応を批判するにとどまっている。

 では、評価基準とは何だろうか。必要なのは、本部が状況に合わせて、当初の文書を変更する手続きをビルトインしておくことである。変更は「想定外」や「修正」ではなく、当初の文書をより実態に合わせ、「進化」させたものと見るのも不可能ではないのである。特に、マニフェストについては、実現しないことが公約違反なのではなく、実現途上で検討を重ね、その過程を示すことが必要である。イギリスでは、項目ごとに「グリーン・ペーパー」と呼ばれるマニフェストの中間報告が発表される。準備作業を重ね、必要に応じてその内容を公開することが慣習となっている。民主党のマニフェストに足りないのは、こうした手続きなのである。政権の指示であわてて作成されたという東電の工程表も同様である。

 震災は民主党政権の力量を明らかにしつつある。一方、野党も将来政権を取るためにはマニフェストを作成して、選挙で勝たねばならない。民主党と同じ問題に直面しているのである。「進化」するマニフェストをどう作るか。そこに日本社会がリーダーシップを取り戻す鍵がある。


(了)

〔『中央公論』2011年7月号より〕