カマラ・ハリスを支える力学と「火種」

渡辺将人(政治学者)
写真提供:photo AC
(『中央公論』2024年10月号より抜粋)

民主党シカゴ大会に参列して

 筆者が民主党の全国党大会のハリス演説を舞台正面側で民主党代議員らと聴き終えた時、党幹部らの顔には笑みが溢れていた。感動の笑みではなく、無事に終えられた安堵の笑みだ。ハリス演説は、家族の物語による人種やジェンダー属性の誇示、共和党へのネガティブ攻撃、内政と外交の政策など、今回民主党大会が目的とした支持基盤(特に黒人と女性)向けの要素が網羅されていた。

 一方、ハリス陣営は資金と組織をバイデン陣営から譲り受けたものの、予備選を経ておらず、情熱的な草の根ムーブメントを欠く。異例の指名過程が後にわだかまりを残す負い目もあり「守り」に徹した。それは、「棚ぼた」を与えてくれたバイデン大統領への異様な配慮にも表れた。

 そもそもバイデンからの「禅譲」は絶妙なタイミングで、秘密裏に行われた。あれより早ければハリスへの挑戦者が名乗り出てミニ予備選が現実化していたし、遅ければハリス陣営の態勢が整わなかった。予備選で問われる「審査」を飛び越えて本選に船出したこの選挙で、民主党は壮大な実験に挑んでいる。一つは、「資質に難がある候補を最強のキャンペーンでどこまで『人工芝』として輝かせられるか」。もう一つは、「その候補が選挙過程でどこまで成長・変身できるか」である。

 二大政党制の米国では、本選になれば誰が候補者でも党が全力で支える。今回異例なのはメディアの肩入れだ。保守系以外の米主流メディアはトランプ政権阻止のため、偏向を厭わず「ハリス神話」創造に報道方針の舵を切った。バイデンでは勝てないと踏んだ『ニューヨーク・タイムズ』が交代劇を巧妙に仕掛けたのは、民主党内では公然の事実だ。無論、限界もある。党大会の熱狂は2008年のオバマ選挙とは比べ物にならない。当時はオバマが一言発すると泣き出す人がいたし、大会最終日は屋外で花火まで打ち上がった。

 ハリスにはオバマ同様、多様性に満ちた生い立ちがある。母はインド移民1世で父はジャマイカ移民1世。異人種間の国際結婚だ。カナダ育ちで隣国だが「帰国子女」だ。母に引き取られインド文化で育った。ただ、これらを強調するのはタブーだ。米国では黒人ルーツは特別で「多重属性」は認められない。かつてアジア系政治家名鑑に載っていたハリスを、党大会はインド系ではなく黒人に再定義した。国歌斉唱の少女から、公民権活動家、著名テレビ司会者などセレブまで黒人で固めた。インド系女優のミンディ・カリングに料理ネタをいじらせる程度のガス抜きはあれども、インドどころかアジアも遠ざけられた。あるアジア系議員が演説依頼を陣営に土壇場で白紙にされた事件は、アジア系内で物議を醸した。

 それでも民主党大会にはクリントン夫妻、オバマ夫妻など主役のハリスが霞むほど重鎮が勢揃いし、定番の自己顕示を兼ねつつもハリス支持を訴えた。党大会をクライマックスとした一連の大統領候補者の「変更劇」では、民主党の「変わり身」の早さが、逆に結束力を印象付けた。

 開催地のシカゴは筆者にとっても米国政治の原点である。シカゴで学び、地元選出議員の選挙区対応で格闘し、シカゴ大学やコミュニティ活動家の協力で「オバマ教授」の評伝を書いたこともある。

 大会前日の日曜夕刻、ミシガン湖沿いの高層階の一室で開かれた大口献金者と党幹部のレセプションでは、筆者はほとんど唯一の外国人だった。シューマー上院院内総務、ペローシ元下院議長をはじめ大物政治家が一堂に会し、宴もたけなわの頃、主催者のプリツカー・イリノイ州知事が「オバマの地元、ヒラリーの生まれ故郷からハリス大統領を送り出す」と発声し、結束が誓われた。党内の政治イデオロギーを超えて、大統領選挙を盛り上げて上下両院で「勝つために」ハリスを推すことを確認した。有権者の空気も同様だが、背景には三つの要因がある。

 第1に、民主党支持者が「まつりごと」の興奮に飢えていた。20年はコロナ禍で対面開催がなく、事実上8年ぶりの党大会だ。熱心な政党支持者ほど予備選に燃えるが、今回は予備選がなかった。献金筋の余剰資金も一点張りで流れ込む。

 第2に、トランプ前大統領の共和党指名獲得で、トランプ政権の再来阻止が共通目的として、民主党内の各派をまとめる接着剤になったことだ。トランプ以上にトランプ支持者を体現するバンス副大統領候補も、危機感を与える上で効果抜群だった。

 第3に、00年にゴアを攻撃することでブッシュ政権を生んだ緑の党のネーダーの過ちから学んだ、左派の現実主義である。民主党幹部に左派のアジェンダを呑ませて、民主党そのものを左傾化させる方が、第3の候補を担ぐより遥かに効果的だと悟ったのである。

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