松下政経塾と新党
民主党には官僚出身、労組出身の議員もいたが、特徴的なのは松下政経塾の出身者が多くいたことだ。
これは松下電器(現パナソニック)の創業者・松下幸之助が、日本の将来を憂えて、政治家を育てようと設立した私塾である。志はあるが「地盤・看板・カバン」を持たない一般の家庭で育った若者たちを支援した。そうして国会議員になった者の多くは民主党に属した。同党の代表経験者でいえば、野田や前原誠司がそうだ。彼らは目立つことを好むが中身がなく、軽いとも目されていた(後述の『襤褸(らんる)の旗』)。
そんな卒塾生たちへの取材を重ねたのがジャーナリストの出井(いでい)康博だ。
出井の『民主党代議士の作られ方』(新潮新書、2010年)は、民主党から出馬した松下政経塾出身の若手二人の選挙を追ったルポである。
自転車での遊説や家族を巻き込んだ選挙戦などの描写は、同党・小川淳也の政治活動を追った映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020年)と重なりもする。映画には選挙事務所で支援者たちが黙々とビラを折り続ける場面があるが、本書では似たような作業を続ける合間に、「何だか、受刑者になった気分だな」と60代のボランティアが冗談を言うエピソードがある。
著者は、候補者が若くても選挙運動は高齢者に支えられている現実に突き当たる。そこでは「あのひとに頼まれたから」などの人間関係が重要で、民主党でも「高齢者が運動の中心を成す、高齢者のための選挙」であることに変わりはなかった。
同じく出井の『襤褸の旗──松下政経塾の研究』(飛鳥新社、2012年)には新党ブームの秘史がある。
2期生の山田宏や長浜博行は在塾中に新党結成に動き出し、卒塾後は、都議をステップに国会を目指そうと「東京政経塾」を設立。参院選に10名ほどの候補者擁立を目指し、中古のバンで遊説をはじめたところに、細川護熙が日本新党への参加を打診してきた。結果、1993年の衆院選に出馬し、二人は当選を果たす。
自民党の金権体質や派閥政治への批判から政治改革の機運、そして新党ブームが起き、それが55年体制を終わらせ、非自民の連立政権を生んだ。彼らはその嚆矢であった。
それまで松下政経塾出身の国会議員は自民党に1人いるだけだったが、この選挙で15人が当選。そのうち13人が非自民であった。彼らはいわば政界再編の申し子である。なかでも日本新党で当選した野田や前原はその後、民主党の幹部になっていく。
前原について、本書に印象深いくだりがある。菅政権末期、主流派―反主流派(鳩山―小沢グループ)が対立するなかで、ポスト菅に前原が浮上するが、彼が党首になると反主流派との溝はさらに深まり、党は崩壊するとの見方があった。それを著者に聞かれた前原は、分裂したほうが「すっきりしてましたよ」と言い切る。実際インタビューから約1年後、分裂は現実になる。
民主党は与党第一党になるほどの大所帯になったが、その規模を持て余し、維持できなかった。前述の野田の自民党への羨望も、それゆえのものであろう。