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元自民党副総裁・大野伴睦の「懐刀」だった渡辺恒雄。証言者が語るその実像と戦後政治の舞台裏

権力の中枢を見た最後の証人 独占告白

もっとも政治記者らしかった

あえて露悪的に振る舞うこともあったという渡辺だったが、ほどなく磯村は渡辺の大野への影響力を知ることになる。

 

「我々新参者は、家の最も格式の高い奥座敷での取材を許される記者を『奥座敷組』と呼んでいました。一方で玄関に入るまでしか許されず、家にも上がれない記者は『玄関組』と呼ばれていました。私なんかはもちろん玄関組でしたよ、行ったばっかりですしね。

 

私が大野派を担当したころは、渡辺さんは既に奥座敷組というものを通り越して、常に大野さんの横で睨みを利かせていました。もう中川一郎秘書〔後の農林水産大臣、青嵐会代表世話人〕を超えるような存在に見えましたね。

 

一記者でありながら、他派閥の長や担当記者から大野さんの情報を求められるような存在になっていましたね。ジャーナリズムに対する矜持も絶えず持っていて、大野さんに『先生、これはどうなんですか』という質問をするのは聞いたことがないですね。

 

むしろ『俺はこう思うんだけど、あなたどう思う、副総裁』というような質問なんですよね。あえて言えば、私が政治記者になって出会った最も政治記者らしい人物が、ナベツネさんということになると思います」

 

御厨は、戦後政治における政治家と政治記者の関係性から敷衍(ふえん)して、渡辺と大野の間にあった利害得失の一致も指摘する。

 

「渡辺さんが大野伴睦の取材に力を入れた時代というのは、渡辺さん自身が読売社内で、生きるか死ぬかの死闘をやっているときです。自分の友軍である大野伴睦、それはやがては中曽根康弘になりますが、彼らの出世と渡辺さん自身の出世が、ある意味重なってくるわけです。渡辺さんから見て、大野は総理総裁になるような人ではなかったかもしれない。

 

せいぜい副総裁か衆議院議長止まりと思っていたかもしれないけれど、逆に言えばそこまでは持って行けるような人物を、自分の手中に握っているというのは、渡辺さんとしてはすごく楽しかったんだろうと思います。これが一番彼の元気が出たときだと思います」

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