イスラエル政策という火種
だが、せっかくバイデンとの貸し借りで「トランプ」「共和党」「中道民主党」の三つより「まし」な政権を維持してきたのに、大統領が交代すれば元の木阿弥である。企業寄りのニューサム・カリフォルニア州知事などになれば彼らには最悪だ。ハリスは、「カメレオン的に立場をコロコロ変える信念のない『元中道』の政治家」だったが、バイデンと一緒にホワイトハウスに送り出してくれたことに恩義を感じているはずだと左派は考えた。世襲議員を後援会筋が支持する力学と同じである。「政治投資」に突っ込んできた層ほど、回収を優先する。左派の方針は「本選で票を割らない」「無党派や中道票を取れる候補を推す」、そして左派の支援なしには勝利も政権維持もできないと認識する候補が条件になる。恩知らずは問題外だ。
それだけにハリスが左派の影響下に入らない独立路線を歩めば、民主党は一気に分裂に向かう。火種は何か。冒頭で触れた人種属性は軽微な問題だ。ハワード大学という黒人大学に進学した時点で、複数属性を認めない米国での人種ルールにおいては、インド系と公の場での縁が切れることをハリスは覚悟している(拙著『大統領の条件』参照)。ハリスは元検事だ。不法移民を取り締まる側で、移民に優しい政策を求める左派には悪印象な職だが、今回の選挙では「犯罪者」トランプと対峙する記号として「英雄化」されている。
火種の一つ目は、外交・安保、目下はイスラエル政策である。党大会でパレスチナ支援のデモが暴徒化し、1968年(ベトナム反戦デモが党大会に雪崩(なだ)れ込んだ)の悪夢の再来になるとの一部民主党幹部の懸念は杞憂に終わった。デモは平和的で、パレスチナ支援派の代議員が散発的に抗議会見をするにとどまった。
それでも、党大会演説でイスラエルの自衛権容認をハリスが語り出したとき、筆者の席の周辺で明らかなブーイングが起きた。そもそもハワイ州などの一部代議員はガザの窮境を憂いてハリス支持を拒否している。そして大会3日目には、ハマスに家族を人質にされているユダヤ系市民が登壇したことが党内で物議を醸していた。イスラエルの件には触れない形で、無事に党大会を終える作戦だったからだ。民主党のあるベテラン顧問は真っ青になり、「最終日でも遅くないので、パレスチナ系市民を登壇させてバランスをとるべきだ」と民主党全国委員会に進言した。
(続きは『中央公論』2024年10月号で)
シカゴ大学国際関係論修士課程修了。早稲田大学政治学研究科にて博士(政治学)。米下院議員事務所・上院選本部、テレビ東京、コロンビア大学、北海道大学などを経て慶應義塾大学准教授。専門は米国政治。受賞歴に大平正芳記念賞、アメリカ学会斎藤眞賞ほか。近著に『台湾のデモクラシー』(中公新書)。