(『中央公論』2026年4月号より後半部分を抜粋)
- 「中道」路線自体は正しい
- 政権担当能力の「その先」を見据えよ
- 目指すべきは「対案型」
- 地方組織を大事にせよ
(前略)
「中道」路線自体は正しい
「中道」という理念を掲げたことは、少なくとも理論的には間違っていない。日本の世論は、左右の一次元に有権者の志向を分布させると、真ん中よりやや右側に山の頂点がくる単峰型をしているといわれる。そして、左右の基準として人々の多くが思い浮かべるのは、外交・安保政策である。立憲に課せられたリベラルのレッテルを剥がすことができなければ、最もボリュームの大きい有権者を振り向かせられない。
だが政策理念の位置取り以上に重要なことは、包括性だ。小選挙区制のもとで、包括政党たる自民党の対抗勢力を志向するなら、真ん中やや右寄りから左側まで、幅広い有権者に受け入れられることが重要になる。つまり、目指すべきは左から右まで幅広い人が集まっているが、平均すると真ん中付近になるというイメージだ。そしてここでいう「中道」は、外交・安保の現実主義に立脚しつつ、内政面では必要な改革は躊躇なく施して「よりよき統治」を行うという、政権担当能力のアピールこそを意味する。
このことを中道の執行部が理解していなかったわけではなさそうだ。結党時の野田共同代表の説明は、「『中道』は右にも左にも傾かず、熟議を通して解を見いだしていくという基本的な姿勢」(『朝日新聞』2026年1月17日付朝刊)というものだった。一見わかりにくいが、民主党政権が議論に明け暮れ、結論を導けないか、導けば造反者が出て自壊していったことを思えば、党内ガバナンスの構築は重要だ。また同時に、自民も含む他政党から参加者を募り、幅広い政党を目指す構想も語られていた。
だが、これまで与野党で対峙してきた政党同士が選挙直前に合併し、党内ガバナンスの話から始めるというのは、政権担当能力をむしろ疑われることにつながる。他党からの流入も、実際にはほぼみられなかった。小選挙区では国民民主と競合する選挙区も少なくなく、目指した方向は正しいにしても、足元があまりにも覚束なければ有権者に浸透しないのも無理はない。
繰り返すが、目指すべき「中道」が、外交・安保政策では自民に近づき、内政面での「よりよき統治」を訴えることだという前提に立てば、現実的な安保政策に立脚することや、エネルギー政策の転換など、公明が主導した新党の路線は正しい。これによって、立憲はどうしても自ら捨てることができなかった過去のに半ば強制的に決別することになった。もちろん立憲の一部支持者は、急な政策転換に戸惑っただろう。だがそういった非難が大きな声になっていないのは、リベラル系政党の退潮という選挙結果が証明している。