司馬遼太郎『空海の風景』上下
谷崎潤一郎『少将滋幹の母 他三篇』
堀米庸三『正統と異端』
①司馬遼太郎『空海の風景』上下
数多い司馬遼太郎作品のなかでも著者自身は本書が最高傑作だと思っていたらしい。司馬ファンのなかには「なんとも解せない」と感想をもらす読者もいるが、私のような歴史家にはわかる気がする。
人によっては、空海は九世紀の世界最大級の思想家と唱える者もおり、このような人物を描くのはただ事ではない。さらに古い時代になればなるほど、残存史料は少なくなり、希少な史料から途方もない巨人の姿を浮かび上がらせる作業は困難をきわめるにちがいない。そのために、作家は、とてつもない想像力を燃やしたにちがいない。
空海が室戸の最御埼で風雨をしのぐ洞窟に入り修行する場面があるが、それはまさしく卓越した才能が交差する瞬間であった。「天にあって明星がたしかに動いた。みるみる洞窟に近づき、洞内にとびこみ、やがてすさまじい衝撃とともに空海の口中に入ってしまった。」
巨人を理解するのはそれに見合う力量がなければ、と唸らされる。
②谷崎潤一郎『少将滋幹の母』
ノーベル文学賞受賞の日本人作家は川端康成と大江健三郎の二人だが、私見では、谷崎潤一郎こそ最もふさわしい作家ではなかったかという思いがある。だが、谷崎の小説は原文の日本語で読んでこそその真価が感じとられるもの。いかんせん文学賞選考委員のほとんどは日本語など読めないのだろうから、その真価など分かりようもないではなかろうか。
当代の好色男の平中が、思い焦がれる侍従の君の汚物を見れば、思いを断ち切れると考えてお虎子(まる)を盗み出す場面がある。「やがて恐る恐る蓋を除けると、丁子の香に似た馥郁たる匂が鼻を撲った。......が、何しろそう云うものらしくない世にもかぐわしい匂がするので......」「いよいよ諦めがつきにくく、恋しさはまさるのみであった」
可哀そうな平中は、とうとうそれが原因で病気になり、悩み倒れて死んでしまったという。この平中とて脇役にすぎないが、物語は老大納言が若く美しい妻を時の左大臣に奪われた後、妻への恋情が断ち切れず、死んでしまう。残された一人息子・滋幹の胸にも幼くして引き離された母の面影をいつも引きずっていた。古典に取材したものだが、巨匠の筆で物語の最高傑作に仕上がっている。
③堀米庸三『正統と異端』
高校生の頃、中公新書の初版本で読んだので、おびただしい赤鉛筆の跡がなつかしい。数年前に半世紀ぶりに文庫で再刊され、名著の誉れ高さが偲ばれる。
1210年早春、権勢をきわめる法王(教皇)イノセント3世は、みすぼらしいが物腰のやわらかい隠修士風のフランシスと熱心に語り合っていた。この貧相な男は、彼に従う弟子たちとともにアシジの小堂を出て、キリストの使徒のごとく清貧に徹して隣人を救う運動に修道会としての許可を願い出ていたのだ。まさしく世界史的出会いの決定的瞬間であった。
すべてを捨てて信者の施しで生きる修道士たちは、その生活そのものが封建貴族化した聖職者への無言の圧力だった。そのようなせめぎ合いのなかで「正統と異端」という問題が浮かび上がってくる。信者たちの思い描くキリストはいささかも着飾っておらず、清貧そのままであったからだ。
なかでも、原罪を背負う人間に恩寵をもたらす秘蹟(サクラメント)をめぐる考え方の差異は決定的だった。カトリック教会は秘蹟を執行する人格の質は問われないと唱えたが、非カトリック系の信仰共同体は聖職者の有徳を重視する。そこに「正統と異端」の分岐点があった。
このような中世のキリスト教における「正統と異端」の激烈な争いは、そのまま現代のイデオロギーや政治運動にも関わってくる。本書が今なお色あせない世界史の古典としての価値をもつ所以であろう。
司馬遼太郎