「中公文庫で奇書(?)を読む」奇書が読みたいアライさん
橘外男『橘外男海外伝奇集 人を呼ぶ湖』
室井光広『おどるでく 猫又伝奇集』
筒井康隆『虚人たち』
①橘外男『橘外男海外伝奇集 人を呼ぶ湖』
ここ数年、出版業界でひそかに進んでいる怪奇探偵小説復刊ブーム。なかでも中公文庫による橘外男の発掘には快哉を叫びたいのだ。
緊迫のゴリラサスペンス「令嬢エミーラの日記」!魔の洞窟に棲む獣人『マトモッソ渓谷』!無数の美女の死骸が眠る魔湖「人を呼ぶ湖」!エログロナンセンス冴え渡る筆致は、この時代、この流行の中の作品でしか味わえない強烈な珍味。「これはどこの地球の話なんだ......」とツッコミつつも、夢中で読み耽ってしまうのだ。
コンプラも合理性も投げ捨てて遥かな地へ連れて行ってくれる橘外男は、自分にとって癒しの小説。
生き難くなっていくばかりの社会や、ポリコレを建前に殴り合ってばかりのインターネットに倦み疲れたときの処方箋なのだ。真剣に話を聞いてくれる友達より、「真面目な話はいいから遊びに行こうぜ!」と連れ出してくれる友達の方がありがたい感覚。
続刊の機会があれば、「怪人シプリアノ」や「陰獣トリステサ」の収録もぜひ......!
②室井光広『おどるでく 猫又伝奇集』
中公文庫の近刊で最も衝撃を受けたのが「芥川賞受賞作史上もっとも売れなかった」と噂されるカルト小説、『おどるでく 猫又伝奇集』。
ボルヘスと柳田國男を同じ壺に漬けて熟成させたような文体。難解な作品だが、唯一無二の迷宮感覚を宿した銘品なのだ。
ぎりぎり小説の体を保ってはいるが、主役はおそらく「日本語」そのもの。
例えば薄暗い屋根裏部屋。洋燈の明かりを頼りに、鉛筆を舐めながら原稿用紙に向かう小説家。部屋いっぱいに満ちる空想。しかしいつしか書きつけられた言葉はうにょうにょと自己増殖と結合をはじめ、無限の物語が生成される――
室井光広から想起されるのはそんなイメージ。防衛庁から霊能者へ、石川啄木からカフカへ、キリシタンから弘法大師へ......言葉同士が奔放に結合して話を進めていく様は、一篇の小説というよりひとつの宇宙なのだ。
こういう本に出会うたび、「言葉にはまだこれほどの可能性があるのか......」と嬉しくなってしまうのだ。これぞ読書のしあわせ!
③筒井康隆『虚人たち』
面白いマンガの話をするときに手塚治虫を挙げたり、好きな音楽の話をするときにビートルズを出してしまうと、「いや......そりゃ当然すごいよね」で会話は終わってしまいがち。
奇書ファンにとっては、筒井康隆がちょうどそんな存在ではないだろうか。どんな実験作を読んでも「筒井に似たような作品があったな」と感じてしまうのだ。
中公文庫の筒井と云えば『残像に口紅を』の再ヒットが記憶に新しいが、個人的には『虚人たち』も捨てがたい。
自身を小説のキャラクターだと自覚している登場人物たち。原稿用紙1枚分で1分進む作品内時間。作者のイメージがあいまいな細部が作中でもぼやけている書き割りの風景......メタフィクショナルな仕掛けの数々に衝撃を受ける一方、物語はのっぺりとした悪夢のよう。
特に「今のところまだ何でもない彼は、まだ何もしていない」という冒頭の一文と、ラストの虚無感は格別。極上の余韻を残すのだ。
高校時代、初めて本作を読んだときのこと。ねむたい午後の教室。授業が終わりはしゃぐ同級生たちの声。周囲の何もかもに現実味がなくなって、呆然と頁を閉じたのを覚えているのだ。
嗚呼これが、表現に殴られる体験かと。