「聞きかじりの歴史を、より広いスコープで見直させてくれる本」野沢佳織(翻訳家)
石井正己編『関東大震災 文豪たちの証言』
藤原てい著『流れる星は生きている』
石井正己編『関東大震災 文豪たちの証言』
地震が大の苦手で、震度2程度でも心臓がバクバクしてしまう。元来臆病なのだが、関東大震災の経験者である祖母から、いかに恐ろしかったかを繰り返し聞かされて育った影響もあると思う。
今年はその震災から100年の節目で、関連の報道や出版物が相次いだが、中公文庫の『関東大震災 文豪たちの証言』は、室生犀星、泉鏡花、谷崎潤一郎、志賀直哉など、当時活躍していた作家の手記を集めたユニークな一冊だ。
被災経験や震災時の社会状況を比較的冷静に書き記した文章が多いなかで、臨場感と真情吐露において群を抜いているのが、小泉登美という無名の女性による「被服廠跡遭難の記」である。
初めは安全に思われた避難場所が次第に過密になり、そこへ火災旋風が襲いかかって地獄と化す。水さえろくに与えられず、死を予感しつつも「生きたい」と念じ続けた筆者は、4日目の朝、心ある他人によって救われる。
労働運動家の中西伊之助が『婦人公論』に寄せた「朝鮮人のために弁ず」は、「朝鮮人の不逞行動と云う流言蜚語」がいかに事実無根であるかを説いているが、そのことを直感的に理解していた人もいた。
佐多稲子の「下町のひとびと」に登場する興行師の妻は、一晩中朝鮮人に追いかけられて逃げて歩いたと話す隣人に、「追われる朝鮮人のその前方にあんたがいたのだ」と鋭く指摘するのだ。全編を通じ、当時の市井の人々の暮らしぶりがうかがえて、興味が尽きない。
藤原てい『流れる星は生きている』
祖母からは、太平洋戦争時の空襲の恐ろしさや食料不足による苦労も聞かされた。そこへ母の学童疎開の体験談も加わって、戦時の日本人の「被害」しか知らなかったわたしは、中学生のときに映画『人間の條件』を見て「加害」の面を知り、衝撃を受けた。
その映画の舞台にもなった満州からの「引き揚げ」の体験をつづった、藤原てい著『流れる星は生きている』は、壮絶のひとことに尽きる。
とくに、現在の北朝鮮南西部、新幕から開城までを1週間あまりかけて徒歩で移動する場面は壮絶そのものだ。荷物と長女(乳児)を背負い、2歳の次男を抱き、5歳の長男の手を引いて山を越え川を渡り雷雨に打たれて歩く旅の厳しさは、想像を絶する。
窮状を見かねて牛小屋に泊めてくれる朝鮮人がいる一方で、見捨てたり裏切ったりする日本人もいる。
著者は、時に手段を選ばぬしたたかさで子どもたちを守りながら、自分自身をも突き放して見られる冷静さと強靭な精神力を持ち続ける。その率直な語り口に助けられ、こちらも歯を食いしばる思いで読み通す。
とにかく精一杯生きよう、できるだけ人にやさしくしよう、と謙虚な気持ちにさせてくれる大切な一冊だ。