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鈴木涼美 無駄を排除し、意味のある行動で全ての時間を埋め尽くしたその先に待つもの(ミヒャエル・エンデ『モモ』を読む)

第18回 若さも90年代も空っぽだったと皆言うけれど(ミヒャエル・エンデ『モモ』)
鈴木涼美

「灰色の男たち」の囁き

 ドイツの作家であるミヒャエル・エンデによって私が生まれるよりさらに10年前に描かれた『モモ』の物語は、その後に描かれた『はてしない物語』と並んで彼の代表作であり、現在でも多くの子どもたちや大人たちに読まれ続けている人気作品です。世界的に見ても特に日本では人気が高かったと言われており、小学校時代に何度も読んだという人がいるかもしれません。大人になってから読むと、子どもの時とはまた別の、切実さと心苦しさを感じる物語でもあります。モモの世界における悪役、人に「時間の倹約」を強要する「灰色の男たち」が、自分らの中にも病巣を作っていることを後ろめたく思うからです。

 大都会のはずれにある円形劇場の跡地に、いつからか住み着いた浮浪児のモモは、社会のシステムから逸脱したワイルドで自由な存在です。近所のひとたちが差し入れてくれる食べもので暮らし、近所のひとがくれた使い古しのベッドや近所のひとが作ってくれたテーブルを使っています。ぶかぶか上着に裸足の彼女には、相手の話を聞くという特別な才能があって、だから彼女の円形劇場には常に誰かが訪ねてきます。モモに話を聞いてもらうことで、自分の人生も悪くないと思えたり、憎い憎いと思っていた誰かを許せたりするからです。そして子どもたちもまた、モモと一緒に遊ぶとちょっとしたごっこ遊びが大冒険になるほど夢中になって楽しむことができます。特に、近所の人たちに相手にされず、街の中に居場所がなかった2人はモモといる時にだけ本来の自分に戻れるように安らぎ、彼らはモモの親友となります。

 そうやって、モモがいることで皆が人生は悪くないと思えていた街ですが、「灰色の男たち」の出現によってその様相は一転します。人間ではない存在の彼らは、この都会の人々に「わたくしは時間貯蓄銀行からきました」と言って忍び寄り、人々が今までいかに膨大な時間を無駄にしてきたかを具体的な数字をあげて力説し、時間の倹約をするように促すのです。たとえば、今まで1人のお客さんと談笑しながら1時間くらいを費やし、年寄りのお母さんのそばに座って毎日おしゃべりをして、足の悪い女性を見舞い、インコの世話をしていた「床屋のフージーさん」には「仕事をさっさとやって、よけいなことはすっかりやめちまうんですよ。ひとりのお客に半時間もかけないで、十五分ですます。むだなおしゃべりはやめる。年よりのお母さんとすごす時間は半分にする。いちばんいいのは、安くていい養老院に入れてしまうことですな。そうすれば一日にまる一時間も節約できる。それに、役立たずのセキセイインコを飼うのなんか、おやめなさい! ダリア嬢の訪問は、どうしてもというのなら、せめて二週間に一度にすればいい。寝るまえに十五分もその日のことを考えるのもやめる。とりわけ、歌だの本だの、ましていわゆる友だちづきあいだのに、貴重な時間をこんなにつかうのはいけませんね」と促します。そしてその倹約した時間を貯蓄銀行に預けておけば、時間の蓄えができて、今とは全く違った近代的で進歩的な人間になれるというわけです。

 それまでフージーさんは自分の仕事も暮らしもそれなりに楽しんでいたし、悪くないと思うことも多かったのですが、時々虫のいどころが悪いとやさぐれて、もっとちゃんとした暮らしがしたいけど「そんなくらしをするには、おれの仕事じゃ時間のゆとりがなさすぎる。ちゃんとしたくらしは、ひまのある人間じゃなきゃできないんだ。自由がないとな。ところがおれときたら、一生のあいだ、はさみとおしゃべりとせっけんのあわにしばられっぱなしだ」なんて思うことがあったわけです。そして「灰色の男たち」はそういう時を見計らって、彼に囁きかけに来たのです。「もしもちゃんとしたくらしをする時間のゆとりがあったら、いまとはぜんぜんちがう人間になっていたでしょうにね。ようするにあなたがひつようとしているのは、時間だ」「あなたはまったく無責任にじぶんの時間をむだづかいしています」という風に。その甘い言葉に、大都会の人々はどんどん誘われ、気づけばほとんどの大人たちが、時間貯蓄の鬼のようになっていきます。

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