北杜夫『どくとるマンボウ航海記』
「私の好きな中公文庫」のお題を受けて、とたんに一連の「どくとるマンボウ」ものとその独特のカバー(あらためてみると、サントリー宣伝部出身のイラストレーター佐々木侃司(かんじ)氏の手になるものだった)、さらには、手擦(てず)れがするまでそれらを読みふけっていた十代のころのことまでが頭に浮かんできたのは、われながら不思議だった。
とはいえ、私と同年配のみなさんにとっては、そんな体験もさほど特異なことではあるまい。あのころ、北杜夫のユーモア・エッセイは若者を魅了し、ベストセラーとなっていたのである。もっとも、そうして増えたファンが、「どくとるマンボウ」シリーズをはじめとするエッセイを支持する「マンボウ派」と、純文学こそ著者の本領とする「幽霊派」(もちろん、北杜夫の代表作の一つである『幽霊――或る幼年と青春の物語』に由来する)に分かれたのは、おおいに時代を感じるが――。
やや話がそれた。私が「どくとるマンボウ」ものに夢中になったのは、その上品にして卓抜なユーモアのセンスに惹かれてのことだったのはいうまでもない。それはおそらく、戦前の山の手育ちであった著者に自然とそなわった資質だったのであろう。
しかし、私は、可笑(おか)しさ以上に、しだいに北杜夫の文章の持つ寂しさ、そこからかもしだされる叙情に魅了されていった。実際、ユーモアや冗談まじりのアイロニーだけでは、あんなにも読み返したりはしなかったはずだ。北の読者なら必ずうなずいてもらえると信じるが、その作品は、ユーモアを前面に押し出したものといえども、寂寥(せきりょう)の淡い青灰色(せいかいしょく)にふちどられているのである。
よって、ここでは、そうした特色がとりわけ顕著に示された代表例として、『どくとるマンボウ航海記』を「私の好きな中公文庫」に挙げたい。
1958年、若き北杜夫が漁業調査船の船医として、インド洋や紅海、地中海や大西洋をめぐった半年の航海について書き綴った「どくとるマンボウ」シリーズの第1作である。
若い読者には、実際にお読みになって、その面白さを体感していただきたい。また、今日再び接するオールドファンにとっては、別の感慨が加わることだろう。そこに描かれているのは、半世紀以上前の憧れを含んだ「遙かな国 遠い国」のありさまだ。
それを描いた著者も、もはやこの世のひとではない。失われた世界への旅情と、無くしてしまったものへの哀惜から、著者が想定した以上の情動を覚えるのは、きっと私だけではあるまい。
大木 毅 さん
北 杜夫 著