宇野千代『私のお化粧人生史』
宇野千代『青山二郎の話 小林秀雄の話』
手に取った中公文庫の記憶をさかのぼると『私のお化粧人生史』に行き着く。
宇野千代の書いたものをなにか読んでみたい、と、22、3歳くらいのときに古本屋で探していて見つけた。当時、東郷青児の描いた美人画が、私がウェイトレスをしていた『喫茶ソワレ』の壁を飾ったり、あるいはマッチやお冷やのコップにあしらわれていたりした。いつかソワレについて文章を書いてみたいと漠然と思っていた私は、東郷青児の人となりなどを調べる中で、彼が30代の半ばに共に暮らしていた相手として宇野千代を知ったのだった。
『私のお化粧人生史』には、宇野千代の40代の終わりからおよそ10年のあいだに、自らが発行していた雑誌『スタイル』に載せるために書いたエッセイなどが収録されている。「私の"離婚十戒"」と題した連れ合いへの接しかた十箇条は、雑誌で読み漁っていたいわゆる恋愛ティップスと重なるところも大いにあった。その中の「どう言う訳か分りませんが、男に比べると、女の人の方が、道徳家らしい顔をするのが好きですね。実際にも、女にはそれほど悪いことをする人が少いのでしょうか」とのくだりに、今でははっとする。道徳家とは相反する人生を開陳することが宇野千代のライフワークだったともいえるのだから。
この本で宇野千代が薦めていたあれこれの中でひとつ、長いこと倣(なら)っていたことがある。
「好きな人に会いに行くには、その前に、ほんのちょっと眠ること。これが私の一大発見なのでした。あの十七歳のときから現在まで、私はずうっとこの秘伝を守っている訳なのです。(どうかみなさんも、ちょっと試してごらんなさい。)」
そうすると化粧が肌に馴染むのだと、美容法として書かれているのだけれど、そのうたた寝には、会ったらすぐ飛びつきたくなるようなはやる気持ちをいったんリセットできる、落ち着いて好きな人に向き合えるという効用のほうが大きいのだと、やってみてすぐ気付いた。
自身より年少の女性を対象として書かれたエッセイの中で語られる明るい人生訓を宇野千代は体現しているものだとかつての私は信じ込んでいたが、今ではそんなに虚心坦懐には受け取れない。作品や評を読み重ねていくうちに、そんなに一直線に世を渡ってこれたはずはないとわかったし。
80歳になる年から書かれた、盟友の人生の裏表を洗い出す一風変わった評伝「青山二郎の話」では、折しも『私のお化粧人生史』を世に出して程なくして住処を手放さなければならなくなった経緯を青山二郎との共通の友人と話すうちに思い出し「いつでも、人を怨んだり、未練がましくしたりはしない、と言うのが私の自慢であった。しかし、それは、そうありたいと望んでいたと言うことで、そうであると言うのではないのか」と述懐している。
「そうありたいと望んでいたと言うこと」、というのは彼女の内面の渦巻きに蓋をするように顔に施した化粧とイコールなのかもしれない。けれど化粧した姿もその人による作品のひとつであるととらえることもできる。宇野千代の書いたものを読むといつも「そうありたい」と願うことは決して無駄ではないと知らされる私。
木村衣有子さん
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