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「新夕刊」創刊と、謎の社長「高源重吉」との関係(中)

【連載第七回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

小林の中国側のパートナー・草野心平

 高源と共に、蛙の詩人・草野心平が登場しているのは、草野がこの時に南京政府に勤めていたからだ。草野は慶応普通部を中退して大陸に渡り、広州の嶺南大学に学んだ。その時の同窓生が林伯生だった。林伯生は汪精衛政権の宣伝部長となっており、草野は宣伝部の顧問だった。小林に頭を叩かれた林伯生に同行していたのだろう。草野の小林追悼文「なんぼで売る?」(「新潮」昭和584臨増、小林秀雄追悼記念号)では、上海か南京で二人一緒に写った写真を載せて、当時を回想している。草野は大東亜文学者大会を開くため、南京側で資金集め、人集めを担当していた。いわば小林の中国側のパートナーである。

「小林秀雄との交渉の一番頻繁だったのは、終戦間際ころの上海や南京でだった。(略)南京の私の家にやってきたこともあった。(略)南京に帰ってからの私の主な仕事の一つは、中国側文学者の大会への参加勧誘だった。/先ず私には比較的薄い関係の北方から始めることにした。私はまっ先に北京に行くことに決めた。すると意外にも小林秀雄も一緒に行ってやるということになった。/私達は北京飯店の大きな一ㇳ部屋を借りた。かれは具体的には何一つ手伝ってはくれなかったが、一緒にいることだけでも無量の力になった。(略)小林秀雄は大会には出なかったが、個人的に私をなぐさめ、慰労会だと言ってブロードウェイマンションで飲食した。翌朝、眼がさめたとき私はひどい二日酔だった」

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