「新夕刊」創刊と、謎の社長「高源重吉」との関係(中)
草野の朗読した詩を、即決「一万円」で買い上げ
草野の文章には高源は出てこないが、蟹饅頭は出てくる。引き揚げてから三年目に会って、「もう一度揚州の蟹饅食いたいな」「河上(徹太郎)も満足してたな」と喋り合う。とすると、食味随筆「蟹まんじゅう」もただの美味求真の話ではなく、その裏には中国での苦い旅の思い出が貼りついているのかもしれない。草野の小林追悼文では、草野は小林の前で、出来立ての詩を読み上げたくなる。ノートを取り出し、小林の前でその詩を朗読する。読みおわると、小林は「なんぼで売る?」と問うた。この小林ヴォキャブラリーがよほど印象的だったのか、草野は追悼文のタイトルにしている。「一万円」という草野の言い値に、即決で買い上げる。「創元」第二輯に載った草野の詩「わが抒情詩」は十二頁を占める。「ああああああ。/おれのこころは。/どこいつた。」と、「ああああああ」がリフレインされる。
「ああああああ。
去年はおれも酒をのみ。
きのふもおれは飲んだのだ。
どこへいつたか知らないが。
こころの穴ががらんとあき。
めようちきりんに痛むのだ。」
「ああああああ。
昔はおれの家だつて。
田舎としての家柄だつた。
いまだつてやはり家柄だ。
昔はわれらの日本も。
たしかに立派な国柄だつた。
いまだつてやはり国柄だ。」
「ああああああ。
きのふはおれも飯をくひ。
けふまたおれはうどんをくつた。
これでは毎日くふだけで。
それはたしかにしあはせだが。
こころの穴はふさがらない。
こころの穴はきりきり痛む。」
「くらあい天だ底なしの。
くらあい道だ涯のない。」
草野が詩を読みおわってから、しばらく小林は黙っていた。それからの、「それ、なんぼで売る?」だった。草野が大陸から引き揚げてきたのは敗戦翌年の三月だった。参考までに記せば、草野心平の友人で、小林も親しくなった林伯生は、汪精衛政権の閣僚だったので漢奸裁判にかけられ、十月に死刑を執行された。「わが抒情詩」は、その頃に作られている。
「創元」第二輯に掲載された、草野心平「わが抒情詩」
※次回は9月10日に配信予定です。
1952年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒業。出版社で雑誌、書籍の編集に長年携わる。著書に『江藤淳は甦える』(小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(司馬遼太郎賞)、『小津安二郎』(大佛次郎賞)、『昭和天皇「よもの海」の謎』、『戦争画リターンズ――藤田嗣治とアッツ島の花々』、『昭和史百冊』がある。