政治・経済
国際
社会
科学
歴史
文化
ライフ
連載
中公新書
新書ラクレ
新書大賞

単行本『無常といふ事』がやっと出る(三)

【連載第十三回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

互いの議論を咀嚼し合った親密な関係

 安吾が小林の議論をよく咀嚼していたのは「堕落論」一篇からでも感じられる。小林と安吾は昭和初年代には同人誌「文科」の仲間であったから、お互いのことはよくわかっていた。安吾が戦中の「文學界」(昭和171112)に書いた「青春論」などでは、とくに顕著である。小林は同じ号で「西行」を発表していたから、お互いの原稿は目にとめたであろう。安吾は小林を茶化す。「僕は梅若万三郎や菊五郎の舞台よりも、サーカスやレビューを見ることが好きなのだ」。小林の「当麻」は万三郎の中将姫に世阿彌の詩魂を見るのだが、そこに安吾は反撥している。六代目尾上菊五郎の踊りはかつて楽しんだと安吾は書くが、万三郎は見ていないのに名前を出し、サーカスを持ち上げる。「青春論」の主眼は宮本武蔵論である。ここでは武蔵の言葉「我事に於て後悔せず」も出てくる。小林が「我れ事」か「我が事」かを問う、あの言葉を安吾も話題にする。

「愚かと云えば常に愚かであり又愚かであった僕である故、僕の生き方にただ一つでも人並の信条があったとすれば、それは「後悔すべからず」ということであった。(略)牧野信一が魚籃坂上にいたころ、書斎に一枚の短冊が貼りつけてあって「我事に於て後悔せず」と書いてあった。菊池寛氏の筆であった。その後、きくところによれば、これは元来宮本武蔵の言葉だということであったが、このように堂々と宣言されてみると、宮本武蔵の後悔すべからず、と、僕の後悔すべからずでは大分違う」

 小林は戦後、「新夕刊」に「我事に於て後悔せず」を書き、講演「私の人生観」でもこの言葉を語った。あれはひょっとすると、この安吾「青春論」への応答だったのか。それとも小林が戦前の「菊池寛論」でこの言葉に触れたので、安吾がその応答として「青春論」で菊池寛の名前と一緒に出したのか。その両方だったようにも思える。「教祖の文学」の一年後、二人は対談をする。仲直り対談のように誤解されたが、そこに流れる親密さのベースには、二人のこうしたやりとりがあったのである。安吾の没後、創元社から『坂口安吾選集』が出る。小林は推薦文を書いた。さらには冬樹社の『坂口安吾全集』にも推薦文を書いた。

1  2  3  4  5  6