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単行本『無常といふ事』がやっと出る(三)

【連載第十三回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

熱心な読者だった若き日の吉本隆明

『無常といふ事』が出た時に読んだ人間には若い人もいた。そのうち二人はわかっている。一人は大正十三年(一九二四)生まれの吉本隆明である。『無常といふ事』が出た時には二十一歳だった。吉本は「小林秀雄の方法」(「国文学解釈と鑑賞」昭和3611)で、「わたしは、戦争中、小林秀雄の熱心な読者であった」と書いた。

「敗戦直後の混迷のなかで、この文学者の声はもっともききたい声のひとつだったが、聞きえなかったという記憶をもっている。かれの沈黙はそのとき戦争の傷をなめていたことを象徴している。(略)わたしの記憶のなかでは、かれの戦後の第一作は「ランボオ論」か、「モオツアルト」論で、このあとに「罪と罰」論がつづく。これらのいずれも、勝手につくりあげていた小林秀雄像にそむかないできばえであった。かれがオポチュニストでないということで、熱心な読者ははなはだ満足だったのである。(略)たしか、単行本として出た『無常といふ事』で、古典論をあらためてよみかえし、『私の人生観』まではもとめてついていった。しかし意識して文学の世界から遠ざかり美術論にはいっていった小林に、もうついてゆくことができなかったのである。すべてじぶんじしんで解かなければならないと思いきめた」

 この回想的記述に従えば、昭和二十五年(一九五〇)頃までは熱心な読者だったのだろう。最初に入手した小林秀雄の本は『ドストエフスキイの生活』だった。米沢高等工業学校の寮で台湾人の留学生からプレゼントされている。後年のインタビュー「絶対に違うことを言いたかった」(『小林秀雄 百年のヒント』「新潮」2001・4臨増)では、『無常といふ事』は昭和二十一年版と二十四年版(上製本)を持っていたというから、熱心どころではすまない読者だったのだ。「近代文学」の座談会も読んでいる。その時にもった感想は、「僕は、やっぱりこの人は流石に言うよ(笑)、と感心しました」だった。あの「僕は無智だから反省なぞしない」発言にである。「過去の発言とも見事に呼応していて、立派だなと思いました」。

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