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単行本『無常といふ事』がやっと出る(三)

【連載第十三回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

「小林がいたおかげで、日本の古典に目を開かれた」

吉本は後年『源実朝』と『西行論』を出す。どちらもその出発は『無常といふ事』にあった。

「僕などは、小林秀雄がいたおかげで、日本の古典に眼が開かれました。西行や実朝を単に現代的に解釈し直すのではなくて、目の前に人物の姿が浮かんでくるように論じる。空前絶後の仕事だと思いますね。それ故、後を追わないためには、違うことを言う他ないですし、僕自身そうしてきたという自負だけはあります」(「新潮」20014臨増)

 吉本の戦後の歩みは、小林秀雄の根柢的な批判者となることだった。『源実朝』も『西行論』もそれが目指されている。吉本は昭和三十六年に「小林秀雄の方法」を書くために、小林を再読した。そこで『無常といふ事』の改稿に気づく。『無常といふ事』の改稿問題は研究者によってかなり綿密に行われている。ほとんどは昭和二十一年の単行本と初出の「文學界」との比較である。吉本の指摘は珍しくも、その時点ではない。

「新潮文庫本で「西行」をよむと、はじめに「後鳥羽院御口伝」の引用があり、そのあとに「まことに簡潔適確で、而も余情と暗示とに富んだ言葉であるが、非凡な人間が身近にゐるといふ素直で間違ひのない驚き、さういふものが、まざまざと窺はれるところがもつと肝腎なのである」としてある。記憶にまちがいなければ、オリジナルでは「言葉」は「御言葉」であり、「窺はれる」はたしか「拝される」となっていた筈だ。(略)小林秀雄も文庫本に再録するにあたって、天皇制にたいする往時のじぶんの観念に気はずかしさを感じて敬語を改めたにちがいない」(傍点は吉本)

 吉本の指摘に沿って確認すると、確かに初出も単行本も「御言葉」(正しくは「お言葉」)「拝される」となっている。「言葉」「窺はれる」に書き直されるのは、昭和二十六年(一九五一)の創元社版『小林秀雄全集』からであった。吉本はこの変化を「時の経過によって丁消しされる負債」と表現している。小林の『本居宣長』が出た時、吉本は書評を書いた。そこでは、「(小林は)もしかすると〈戦後〉の全歳月を〈無化〉したいというモチーフをもっている」という文字を書きつけた(「週刊読書人」昭和5312/9、吉本『悲劇の解読』に所収)。小林秀雄の「戦争と平和」を論じる際の最も重い論点はここにあるのかもしれない。その解明はいまのところは先送りとする。

※次回は12月10日に配信予定です。

平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
雑文家
1952年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒業。出版社で雑誌、書籍の編集に長年携わる。著書に『江藤淳は甦える』(小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(司馬遼太郎賞)、『小津安二郎』(大佛次郎賞)、『昭和天皇「よもの海」の謎』、『戦争画リターンズ――藤田嗣治とアッツ島の花々』、『昭和史百冊』がある。
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