エイプリル・フールの不意の訪問者
小林が吉田満の『戦艦大和ノ最期』に言及した文章は、これ一篇しかない。短い中にも、小林の勘違いがひとつある。昭和二十一年(一九四六)の「夏頃」と小林は書いているが、正確とはいえない。吉田満の記憶では、その年の四月一日には既に読んでいる。二人の初対面は「エイプリル・フール」だった。吉田満のエッセイ「占領下の「大和」」(角川文庫版『戦艦大和』に所収)でも、最晩年のエッセイ「めぐりあい――小林秀雄氏」(「毎日新聞」昭和54・5・23~24夕刊)でも、「エイプリル・フール」が強調されている。場所は吉田の勤務する日本銀行本店で、不意の訪問者が「コバヤシ・ヒデオ」という人物だった。その出会いの場面を語る前に、小林の推薦文「正直な戦争経験談」の後半を引用しておこう。前にも引用した部分もあるが、そこも含めて読んでいただきたい。
「僕は、終戦間もなく、或る座談会で、僕は馬鹿だから反省なんぞしない、利口な奴は勝手にたんと反省すればいゝだろう、と放言した。今でも同じ放言をする用意はある。事態は一向変らぬからである。
反省とか清算とかいう名の下に、自分の過去を他人事の様に語る風潮はいよいよ盛んだからである。そんなおしゃべりは、本当の反省とは関係がない。過去の玩弄である。これは敗戦そのものより悪い。個人の生命が持続してる様に、文化という有機体の発展にも不連続というものはない。
自分の過去を正直に語る為には、昨日も今日も掛けがえなく自分という一つの命が生きていることに就いての深い内的感覚を要する。従って、正直な経験談の出来ぬ人には、文化の批評も不可能である」
推薦文はエンディングでまた「正直な経験談」に戻っている。ここでは「戦争」に限ってはおらず、「自分の過去」全般である。「自分という一つの命」という書きぶりに、「大和」読後感の痕跡が感じられる。昭和二十七年(一九五二)、占領体制が終わり、独立を回復したあかつきに、創元社から文語体の完全版『戦艦大和の最期』が出版された。その時に、この推薦文はほぼそのままで、「跋文」として流用される。昭和二十七年時点では、小林は創元社の取締役となっている。「戦艦大和の最期」の第一発見者だった小林の手もとで、独立国日本らしく、完全な形で刊行できたのだった。