「増田夷希(ヤスマレ)」とエリ子の出会い
二人が知り合ったのは事件前年の5月、SSKが関西進出第一弾として大阪歌舞伎座で公演をした時だった。幕間にお風呂から上がったエリ子に「失礼ですがあなた西條さんですか」と富美子が声をかけ、「増田夷希」と書かれた大型の名刺を差し出した。ヤスマレと読む、これが富美子の自称だった。その日の富美子は指輪の入った小箱を渡してすぐに帰ってしまったが、翌々日から楽屋にやってきてはエリ子を見つめるようになる。チョコレートを持参したり香水を配ったりと羽振りのいいところを見せる一方、帰宅が遅いと叱られると言っていつも早めに帰り、厳格な家庭であることをうかがわせた。団員は好意的に受け止めていたものの、謎めいた存在と感じていた。大阪公演が終わると、富美子は京都公演にも現れ、千秋楽にはホテルに1泊して、翌朝東京に帰るメンバーを静岡まで見送ることまでした。
それからしばらく二人は文通し、夏に大阪松竹楽劇部の団員を含めた3人で遊んだこともあったが、秋にエリ子がSSKを退団して協同映画に移籍したあたりから、富美子の手紙には「エリ子なしでは生きていられない」などの切迫感が漂い始めた。困ったエリ子はしばらく返事を出さなかったり、「貴女が愛して下さる程私は貴女を愛する事が出来ない」と返したりした。すると12月25日、突然東京に住むエリ子の前に富美子が現れた。冬休みであるのならぜひ大阪にきて欲しいという。エリ子は困ったが、母の許しを得て元日の夜まで京都に行くことにした。
京都ホテルで落ち合い、大阪、神戸、奈良を観光した。約束の元日の夜、エリ子が東京に帰りたいというと富美子は青ざめ、寂しそうな顔をしたので滞在を5日延ばした。大金を持って家を空けていることを不審に思ったエリ子が問いただすと、富美子は複雑な家庭の事情を話し始めた。それによれば、実家は破産して父が出ていき、姉と母と暮らしているが二人とはそりが合わないという。なお、旅の資金は自分が運用している株の売却利益とのこと。富美子は自殺を匂わせ、エリ子は決意を翻そうとするうちに帰宅はさらに延期された。そのうちエリ子が盲腸炎となったため旅館で安静にしていたが、23日に富美子の実家が雇った私立探偵に見つかり、看護婦を連れて3人で東京行きの寝台列車に飛び乗った。そして米原駅を通過したところで手配の刑事に見つかり、名古屋駅で下車して取り調べを受けることになったのだった。