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平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 男装者による悲劇的事件

第十五回 男装者による悲劇的事件
平山亜佐子

富美子の異様な半生

 この騒動は新聞や雑誌を大いににぎわせた。おりしも2年前、三原山で女学生が自殺する事件が社会問題になっていた。また、まさに同時期に同じく男装の女性が三角関係になり、1人が死亡する事件も起こっていた。女学生同士の恋愛や少女歌劇団への傾倒を異性交遊よりはいいと見逃していた大人たちは、同性同士でも死に至るほど思いつめるということを思い知った時期だったのである。
 とくに『婦人公論』は、エリ子と富美子それぞれの手記を掲載し、富美子の手記への批判を読者から募集、翌月に4作品を選んで掲載するという力の入れようだった。
 それにしてもこの一件、終始積極的なのは富美子一人で、エリ子はただ引っ張りまわされているだけに見える。では富美子はなぜこんな行動に出たのか。
 退院後の手記「死に追ひつめられた私」「死から甦りて女にかへる日の告白」によれば、富裕な家の次女に生まれた富美子は一般の学校に行ったことがなく、姉妹が学齢になると両親が教師を招聘して寺の敷地内に学園を設け、知人の子ども数人とともに学ばせたという。姉が卒業したところで学園は閉鎖され、姉は女学校に、富美子は市立小学校に入ったが、やがて増田ビルブローカー銀行が倒産。父は家を出て妾と母の違う子ども6人と暮らすようになり、富美子は母と姉と3人で質素な家に引っ越した。富美子はそこから樟蔭女学校を出て専門学校を卒業した。
 そのうち、母の反対を押し切って結婚して家を出た姉が、身重で出戻ってきた。実家で出産したものの予後が悪く、母も身体が弱かったために、二人の看病と生後一週間の乳児の世話に奔走した。富美子は介護のために髪を切り(イートンクロップという後ろを刈り上げて耳を出し、横分けにして前髪をなでつけたショートヘアにしていた)、白いシャツに黒いスカートという地味なスタイルで立ち働いた。
 もともと姉はブルジョア好みで家が傾いてもお構いなく派手な生活をするなど、富美子とは気が合わなかったが、出産後はますます些細なことで激昂するようになり、入浴は月2回、外出禁止、来客はすべて断るなど富美子にも異様な生活を強いた。
 姉の子どもが5、6歳になった頃、富美子に少し時間的余裕ができ、5月のある日に母とSSKを見に行き、エリ子を知った。雑誌記事でエリ子が細腕で実家を支えていることを知った富美子は、会ってみたくなり楽屋に行った。実際のエリ子はスターと思えないほど質素だったため、パトロンになろうと思い立った。
 ある日、友人の家に泊まって帰った富美子に怒った姉は極度に厳しい折檻を行い、母にまで暴力を振るった。母は富美子に「出ていけ」と叫び、そこで初めて家出を思いついた。黙って家を出て、エリ子と旅に出たのは前述のとおりだが、姉が警察に捜索の手配をした際、富美子は共産党のシンパであると嘘を言ったために厳重な尋問を受けることになった。
 帰ってきた富美子に母は書面を見せ、持って出た金額と使った金額が合わない、現金でエリ子に与えたのだろう、正直に言わなければエリ子の自宅を家宅捜索するなどと脅した。驚いた富美子は再度家出をしてエリ子のもとに駆けつけたというのが事の顛末だった。そして、エリ子に謝罪した富美子は、ひっそり死を選んだのだ。

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