小林の「戦中派世代」への視線
事後検閲ですから、どうぞご勝手に、という回答だが、それは発売禁止となり、多大な経済的損害を覚悟せよ、という警告であった。「創元」掲載は断念され、「創元」第二輯は十一月三十日に発行された。小林はこの号では、「「罪と罰」について」(現行全集では「「罪と罰」についてⅡ」と表記)という原稿用紙百数十枚の力作を載せる。小林は戦前にも「罪と罰」を論じている。戦中に書き続けていた「カラマーゾフの兄弟」論を中絶して、あらためて「罪と罰」に立ち返った。その理由は不明だが、ひとつ気になる記述が冒頭すぐにある。
「ドストエフスキイが、これ[『罪と罰』]を書いたのは、四十五歳の時であった。作の主人公は廿三歳の大学生である。四十五歳にもなった作者が、廿三歳の青年の言行を、何故あれほどの力を傾けて描き出さねばならなかったか。これは、青年達にとっては、難解な問題である」
四十五歳と二十三歳。それは小林の世代と吉田満の世代の実年齢に近い。「罪と罰」論が載った「創元」第二輯が出た時、小林は満四十六歳になっていたが、書き始めた時点では四十五歳だったのではないか。その時、大正十二年生まれの吉田満は二十四歳、大正十四年の三島由紀夫は二十二歳である。吉本隆明と岡野弘彦は大正十三年だから、まさに二十三歳だ。小林の頭の中には、敗戦の後を生きている「戦中派世代」が念頭にあったのだろうか。