発売直前に飛びこんだCIAからの指令
「この狙いは、雑誌社の宣伝が、経営立て直しの魂胆から少々見当はずれのはでなものであったにもかかわらず、いちおう図に当って、発刊後一月あまりは平穏に過ぎた。そこで予定通り単行本の準備に取りかかり、原文[文語体]をそのまま収録して刷り上げ、発売まであと二、三日に漕ぎつけたところ、CIAから、その発売「しばらく待て」の指令が飛びこんできた。/事前検閲ではないから、向こうからは呼び出しもこず、取りつくしまもない。かえって始末が悪い。出版社は、しかるべき有力者を頼って折衝に狂奔した。ようやく面接が許された。
ところが初めから罪人扱いで、プレスコード(出版法)違反、あるいは占領政策敵対行為の証拠調べである。一度検閲却下を受けた作品を再び出版しようというのは、明らかに意識的な反抗だときめつけてくる。かつてサプレス[発禁]を刻印されたゲラ刷りと、今回の単行本のゲラ刷りとをそれぞれ全訳対照して、若干筆は入れてあるが、客観的にあくまで同一のものだと結論する。しまいには沖縄行きをほのめかす。ある事実を喋ると、それをどこで聞いたかと追及してくる。某々から聞いたと答えると、即座にそこに長距離電話をかけて確かめる、といった調子である。第一、初めの「創元」の時、検閲のために発禁になったという事実を、出版社以外の者、たとえば作者の私が知っていることがすでにプレスコードに触れるという仕組みでは何をか言わんや。――もう絶対出さないから、それならいいでしょうと、投げ出したくなった」
CIAが登場するのだから、穏やかではない。沖縄送りをチラつかせるのだから、犯罪者扱いであり、表沙汰になれば、吉田満は日銀を辞めざるを得ないのではないか。この後、上智大学のロゲンドルフ神父が間に入ったようで、「交渉はやや対等に近く」なる。こちらから「プレスコードはポツダム勅令の第何条にもとづくものか」と相手の痛いところを衝いて、逆襲に出ることもできた。
「最後に急転して、雑誌掲載分を十数か所削除し、しかも削除個所は、読者に絶対分らぬように配慮するという条件で、単行本への再録を許す。ただし文語体の原形は占領政策の継続中は、いかなる場合にも発表しないことを誓え。なぜならばこの文体は、軍隊の命令用語、および歩兵操典のスタイルであって、刺戟が強すぎるからだ、というようなことで、ようやくケリがついた」
※次回は2月25日に配信予定です。
1952年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒業。出版社で雑誌、書籍の編集に長年携わる。著書に『江藤淳は甦える』(小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(司馬遼太郎賞)、『小津安二郎』(大佛次郎賞)、『昭和天皇「よもの海」の謎』、『戦争画リターンズ――藤田嗣治とアッツ島の花々』、『昭和史百冊』がある。