古谷経衡 日本のシニアは、なぜ陰謀論にハマってしまうのか?

古谷経衡(作家・評論家)
写真提供:photo AC
 離れて暮らす親がいつのまにか陰謀論にハマっていた……。そんな体験談がコロナ禍の頃から聞こえてくるようになった。なぜシニアが急に陰謀論を信じるようになるのか? 『シニア右翼』の著書もある古谷経衡氏に寄稿してもらった。
(『中央公論』2023年12月号より抜粋)
目次
  1. QアノンとJアノン
  2. Jアノンの主力はなぜシニアか

QアノンとJアノン

 2022年4月、「神真都(やまと)Q」という団体が渋谷にある新型コロナワクチン接種会場に乱入し、同業務を妨害したとして警視庁公安部にメンバー5名が逮捕された。逮捕されたのは「神真都Q」の代表で当時43歳、他の4名は41~64歳の男女、つまりシニア(本稿では50歳以上とする)を多分に含んでいた。

 彼ら「神真都Q」は、日本版Qアノン、つまりJアノンと呼ばれる集団である。QアノンとJアノンの主張の根幹であるDS(ディープ・ステート。世界を操る闇の政府)とはいったい何かをおさらいしよう。

 DSは元来、ホワイトハウスも制御することが難しいワシントンの硬直した官僚機構を指すとされる。かつて「軍産複合体」という言葉があったが、DS概念はこれに陰謀論が混ざる。現在、DSとは、トランプ前大統領に敵対するリベラル政治家や報道機関──特にヒラリー・クリントンやCNNなどのメディア──を指す言葉になり、さらに悪魔崇拝や児童売春など、キリスト教世界でのタブーを付加され、それに深く関与する「悪の権力者たち」を指す代名詞に変化した。

 トランプの再選をかけた2020年秋の米大統領選挙の直前に、この概念が我が国に「輸入」された。その信奉者が、いわゆる日本版Qアノン、つまり「J(Japanese)アノン」と呼ばれる人々である。

 我が国のキリスト教徒は全成人人口の約1%未満とされ、キリスト教世界のタブーがイコール日本社会の禁忌になっているわけではない。よってJアノンは、この部分を換骨奪胎し、独自の日本型陰謀論を展開するに至った。その主力はDSに加えて「ワクチン陰謀論」である。曰く、「新型コロナワクチンは、ビル・ゲイツを筆頭とするユダヤ系を中心とした国際金融資本の人口削減を目的とした計画である」。ここでいう国際金融資本が、かつての「軍産複合体」の置き換えになる。

 2022年にロシアがウクライナに電撃侵攻すると、彼らは、「ゼレンスキーこそがDSの操り人形であり、プーチンによる〝特別軍事作戦〟はDSに対抗する正義の戦争である」として、大統領在任期間中にプーチンに共感する姿勢を見せたトランプとプーチンをあわせて「光の戦士」と称揚する。

「本家」Qアノンはトランプへの熱烈な思慕のあまり、2020年に大統領選でバイデンが勝利すると、翌2021年1月に米連邦議会議事堂を襲撃した。この参加者の中には共和党の強硬派議員も含まれていたが、死者5名、負傷者100名以上を出すという米憲政史上稀に見る大惨事となったことは記憶に新しい。

 そして、実際に現地で襲撃を指揮したのは青年後期のQアノンの指導者らであり、起訴された者の多くは30代半ばから後半だった。顔や上腕に多数のタトゥーを入れ、鼻やヘソにピアスをし、筋骨隆々の者も少なくはない。あえて日本風に言うとすれば「半グレ」と呼ぶのが近いだろう。アメリカの研究者の中にはこうしたQアノンの社会的背景を、「中年期に入る前の男性特有の、複雑な心理的ストレスがこのような衝動を生んだのではないか」と分析するものもある。

 このように、議事堂襲撃事件の関与者は総じてまず「ギリギリ若者」の範疇に入るのに対し、我が国におけるJアノンの年齢の高さは奇異に映る。QアノンとJアノンは、トランプ再選支持(落選は陰謀)や反ワクチンという共通項を持つものの、その構成員の年齢を見ると、前者は若者、後者はシニアと大きく異なっている。この差異は興味深い事象ではないか。

 陰謀論といえば、現在はもっぱら反ワクチン関連がかまびすしいが、時代を超えてその内容は変幻自在である。古典的な陰謀論は古今を問わず「ユダヤ陰謀論」だ。「ユダヤ人(系)が世界経済や政治を支配している」という歪んだ世界観は、ナチス・ドイツが「シオン議定書」という偽書を引用してユダヤ人迫害を正当化したことにも関係する。偽書の中にある「ユダヤ人による世界分割案」を信じ、「ユダヤ人は世界征服を企てている悪魔の民族」と決めつけた。その災禍はホロコースト以前においても、例えば帝政ロシアで燎原の炎のごとく燃え上がった。

 ロシア領内のユダヤ系ロシア人は、帝政ロシア期においてヴォルガ河周辺に自営商工農主として集住していた。それがロシア的小ブルジョワになり、スターリン時代に迫害の対象となる。その主要な地域が現在のウクライナ東部である。ウ・露の確執はこのような側面からも遡れるが、例えば下斗米伸夫の著作『アジア冷戦史』などに詳しいので未読の場合は参照されたい。

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