一年延期は「災い」ばかりでない
─一年延期は、競泳の池江璃花子選手が白血病から見事に復活して代表選手に選ばれるというドラマを生みました。もちろんこのような「明」ばかりではなく「暗」もあったわけですが、あらためてどのような一年でしたか。
池江選手は確かに感動的でしたね。彼女を特集したテレビ番組を見ましたが、二十歳であれだけ自分を見つめている人はいないのではないか。彼女の失われた時間が、自分を見つめ直す時間を与えたのでしょう。
東京大会にとっても、この一年間は同じ意味があって、オリンピック・パラリンピックはどうあるべきかを見つめ直す機会になった。そのようにポジティブに捉えたいと思っています。
振り返ると、昨年の三月はまさに疾風怒濤でした。コロナ禍の中でどうにか聖火をアテネから日本に持ち帰り、その直後の二十四日、バッハ・安倍会談で延期が決定されました。その時は、二〇二一年に開く大会はどういうものになるのか、見当もつきませんでした。
それから苦難が始まったわけです。しばらくの間、暗中模索でした。新しい大会コンセプトをどうするか。また、延期にともなう経費を抑制するためにはどうしたらいいか......。その答えは簡素化しかない、と。一方、深刻化するコロナへの対策をどこまで徹底すればいいのか。
さらに組織委会長の交代など、予期せぬ事態が起きましたが、その時に話題になったのはジェンダー・イコーリティ(男女平等)ですね。パンデミックを抱えた世界におけるオリンピック・パラリンピックのあり方に加えて、LGBTや障がい者との関係も含めた「ダイバーシティ&インクルージョン」の追求に対して、あらためて思いを強くしました。その意味で、どういう大会であるべきかを考える時間をいただいたと思います。大会延期という事態を乗り越えながら、お祭り騒ぎではなく、本来あるべきアスリートの競技の場という簡素な姿へ原点回帰するべきでしょう。