革命と万引き
まずは平岡正明の『あらゆる犯罪は革命的である』(現代評論社、1972年)から始めたい。平岡の著書は100冊を超え、ジャズ、芸能など縦横無尽に評論を展開した彼の基軸には60年安保以降の「革命」志向があり、同時期の新左翼運動やカウンター・カルチャーと並走していた。この著作のタイトルにあるように、革命と犯罪を結びつける思想を一貫して追究していたといえる。
平岡はそのキャリアの始まりである61年の時点で、のちにノンフィクション作家となる宮原安春(みやばらやすはる)とともに「犯罪者同盟」を結成。物騒かつストレートなネーミングであるが、どんな集団だったのか。
彼らは63年、冊子『赤い風船あるいは牝狼の夜』を刊行。無修正ヌード写真が掲載されていたことにより、わいせつ図画頒布の容疑で平岡は逮捕される(のち、不起訴)。ある「犯罪者同盟」メンバーが書店でサドの『悪徳の栄え』を万引きして捕まり、所持品検査をしたらこの冊子が見つかったというのがきっかけらしい。
このエピソードは、梅本克己・佐藤昇・丸山眞男の鼎談本『現代日本の革新思想』(河出書房新社、66年)にも登場していて、そこで梅本は「(「犯罪者同盟」という名前なのに)なんのことはない『悪徳の栄え』一冊万引きしただけなんだな(笑)」と嘲笑している。
なんとも情けなく思える話だが、この一連の流れは60年代の思想的対立をよく象徴したものだ。『現代日本の革新思想』では、平岡よりも年長のオールド・リベラルである3人が、60年代に勃興しつつあった学生を中心とした新左翼運動について言及している。戦後民主主義、ないしは改良主義的な感覚を否定した新左翼たちは、しかし高度経済成長下で民主主義を謳歌する存在でもあった。そんな「甘えた」スタンスの典型として「犯罪者同盟」が挙げられてしまったのだった。
『あらゆる犯罪は革命的である』の前書きを読むと、そんな「犯罪者同盟」の活動をそれとなく自己批判するような記述も見られる。当時の「悪の形而上学的瞑想に耽るというぜいたく趣味」は「モダニズムの方向における日和見(ひよりみ)主義である。犯罪は形而上学的に考察する以前に、刑事上学的に考察しなければならない」とある(ダジャレを織り交ぜるのは、平岡の得意とする手法だ)。その反省は、新左翼ないしはインテリの「前衛」よりも、名もなき市民の「犯罪」に関心を持つ姿勢に表れている。
例えば、70年に起こった赤軍派によるよど号ハイジャック事件、これも「犯罪」だが、平岡はその数ヵ月後に起こったぷりんす号シージャック事件に「日本の下層社会におけるふつうの犯罪事件」としてより注目している。それはインテリでもないそのへんの若者が起こした事件だが、よど号事件に誘発され人質を媒介することによって、「市民社会との敵対を血肉化しつつある」という。ここにも「革命」の予感が見出されている。
ぷりんす号事件と同時期に、平岡も含め文化人たちからよりフォーカスされていた「犯罪」が、68年に起こった永山則夫の連続射殺事件だろう。平岡と同じく60年代のアンダーグラウンドな文化圏にいた松田政男や足立らが彼の足跡を追った「風景映画」こと『略称・連続射殺魔』(75年公開)は、その映画のスタイルを基にした「風景論」という思想を生み出した。