朝倉喬司が捉えたもの
1970年代、平岡と竹中労(ルポライター、アナーキスト)、太田竜(思想家、活動家)の3人は「世界革命浪人(ゲバリスタ)」を名乗り、「窮民革命論」を唱える。
ここにはもはや大衆ではなく、マイノリティなどマージナルな存在を糾合し革命を志向する態度があるが、犯罪に手を染める者もその対象として捉えていたと考えられるだろう。60年代の闘争の時代を過ぎ、革命の可能性が減退し徐々に安定していく社会を揺さぶる行為としての「犯罪」が語られるようになる。
平岡らとも活動を共にしていたノンフィクション作家、朝倉喬司(きょうじ)による『犯罪風土記』(秀英書房、82年)の前書きにはこうある。
「犯罪は『社会』の中で起り、それは既成の『社会』にとってもつ意味の範囲内で報道されるが、実はそれがよってきたる一番奥深い根拠は『社会』の外に、『社会』がおしつぶし、はねとばしてきた人間の、共同性の破片のようなものにあるのではないかと、いつのころからか考えるようになった」
『犯罪風土記』は、全国各地を回りながら収集したさまざまな犯罪に関するエピソードを軸としつつ、その地の歴史や言い伝えなどがふんだんに織り込まれ、一つの文芸作品のようにも読むことができる。
そこにあるまなざしは、世間の底流で生きる名もなき人々に向けられており、取り上げられる軽犯罪から殺人、さらには心中、事故に至るまでが、それらの人々に隣り合ったものとして語られている。
朝倉は、三面記事にしかならない出来事を説話のようなレベルに高めることによって、戦後日本で成長したノンフィクションというジャンルの中でも、独特の立ち位置を示していたのだった。
朝倉のように犯罪を世間の底流でサバイブする人々による「生」の表れとして捉える手法は、80年代にかけて徐々に目立たなくなった。それは時代の雰囲気が変わっていく状況とも並行していた。2000年に刊行された『少年はなぜ人を殺せたか』(別冊宝島Real)での別役実、大月隆寛(たかひろ)との座談会で、朝倉はこう振り返っている。
「グリコ・森永事件、豊田商事事件が終わった八六年ごろに、何かがガラっと変わったような気がしたんだけれども、今からすれば、ちょうどそのころからバブル、虚構の経済が始まってきてて、もう一つの虚構として擬似超越的な価値観、前世だとか宇宙意識だとかUFOだとかが、わぁーっと出てきた。文脈が変わってるんだよね」