日本の安全保障政策の方針を定める「安保三文書」の改定が、年内に予定されている。それはどのような認識に基づいて策定され、いかなる変化が予想されるのか。防衛研究所の千々和泰明・主任研究官が解説する。
(『中央公論』2022年12月号より抜粋)
(『中央公論』2022年12月号より抜粋)
- 様変わりした日本の立場
- なぜ戦略が最後につくられたか
- 改定の背景にあるもの
- 変化する防衛大綱の役割
様変わりした日本の立場
安倍晋三元首相以前に国葬が営まれた戦後唯一の首相は、吉田茂であった。敗戦国日本を1951年に講和へと導き、主権回復を果たした功績によるものであることは言うまでもない。
その吉田は、サンフランシスコ講和会議での条約受諾演説でこう訴えた。
「敗戦後多年の蓄積を失い海外領土と資源を取り上げられる日本には隣国に対して軍事的な脅威となる程の近代的な軍備をする力は全然ないのであります」
帝国日本がおこなったアジア侵略が、日本にも世界にも破滅的な結果をもたらした記憶が新しいなか、講和後の日本が再び地域の脅威となることはない、と強調する必要があったのである。
それから70年以上経ち、状況は一変している。もはや日本が地域や世界の脅威になると信じる向きはない。むしろ、覇権主義的行動をとる隣国によって、日本や周辺地域の安全が脅かされている状態だ。